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『僕のヒーローアカデミア』『ブラッククローバー』 ヒーロー漫画としての違いとは?

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リアルサウンド

 『僕のヒーローアカデミア(ヒロアカ)』と『ブラッククローバー(ブラクロ)』、近年の週刊少年ジャンプを代表する王道ヒーロー漫画だ。 【画像】『ヒロアカ』『ブラクロ』主人公とライバルである幼馴染が並んだ表紙絵  『ヒロアカ』は2014年、『ブラクロ』は2015年に連載が開始された。すでに現在のジャンプ作品の中では、この2本は『ONE PIECE』と『HUNTER×HUNTER』を除けば最も長く連載が続いている作品となっている。両作品は、いずれも長期に渡りジャンプを支えた大ヒット作『NARUTO』の連載終了と入れ替わるように連載が始まったが、設定や展開、主人公のキャラクター性など、共通部分が多く比較されることも多い。ジャンプの王道を受け継ぐ作品なので、似ている部分があるのも当然と言えば当然なのだが、それでも両作品にはジャンプ王道への異なるアプローチが見られる。  結論から言うと『ブラクロ』はストレートにジャンプ王道をなぞるが、『ヒロアカ』は王道を行きつつ意識的に「ずらし」を入れてジャンプの少年主人公の在り方について批評的な態度を見せる。両作品の違いと共通点を見ていこう。 ■ジャンプヒーローの要素を詰め込んだデータベース的作品  『ヒロアカ』も『ブラクロ』も、過去の漫画やヒーローものの物語をよく知る人にとっては既視感を感じるはずだ。それは半ば意図的でもあると筆者は考えている。  『週刊少年ジャンプ』の王道作品の「友情・努力・勝利」の黄金律があることはよく指摘される。両作品もこの例に漏れない。『ヒロアカ』の主人公デクは、人口の8割が個性を有する世界にあってなんの個性も持たない落ちこぼれだが、人一倍の努力で成長してゆく。ヒーローを養成する雄英高校で多くの仲間たちと切磋琢磨し、勝利を勝ち取ってゆく。  『ブラクロ』の主人公アスタも、多くの人が魔法力を持つ世界でただ一人、魔法力を持たない落ちこぼれとして出発するが、努力で鍛えた身体能力と、魔法を使えないがゆえにアスタだけが行使できる「反(アンチ)魔法」を得て成長してゆく。こちらもアスタが所属する変わり者の魔法騎士団や多くの仲間たちとの友情を育み、勝利を収めてゆく。  ジャンプの3要素を的確に詰め込んだ両作品のメインプロットは酷似しており、それは真似というより、パターンなのである。主人公のライバルが幼馴染であり、才能にあふれた存在であることも両作品に共通する要素だ。特殊能力についても両作品はよく似た設定を導入している。『ヒロアカ』ならそれは個性と呼ばれ、『ブラクロ』なら魔法である。  これら両作品に共通する点は、直接的には『NARUTO』からの引用であるし、『NARUTO』以前から積み上げてきた歴代ジャンプのヒーロー漫画の中で有効とされてきた方法論である。  『ヒロアカ』と『ブラクロ』は、そんなジャンプヒーローの豊富なデータベースを参照し、詰め込んだ作品と言える。だからこそ、既視感も生まれるし、ヒットもする。少年ジャンプのデータベースはヒットの法則そのものなのだ。(もちろん、データベースを参照するだけでヒットするわけはないが) ■『ヒロアカ』デクにはなぜ母親がいるのか  いくら似ていても、『ヒロアカ』と『ブラクロ』には明確な違いもある。とりわけ『ヒロアカ』のジャンプ王道路線における立ち位置は絶妙なのだ。  よく指摘されることだが『ヒロアカ』は、ジャンプ王道を参照するだけでなく、アメコミからも強く影響を受けている。主人公デクが憧れるオールマイトのキャラクター造形や英語で表記される擬音語など、アメコミ的意匠が随所に登場する。しかし、それだけなら過去のジャンプ作品にもアメコミ意匠を使った作品はあった。『ヒロアカ』の特殊さはそうした表層的な意匠に留まらない。  ジャンプヒーローの定石としてまだ言及していない点がある。それは母親の不在だ。母の存在が言及されたとしても、過去のエピソードや回想などによるものがほとんどで、現在進行形で主人公の母親が描かれるケースが少ないのである。『DORAGON BALL』の孫悟空、『ONE PIECE』のルフィはもちろん、『NARUTO』や『ダイの大冒険』などは回想の中での登場だった。近年の大ヒット作『鬼滅の刃』は1話目で他の家族とともに死亡しているし、『呪術廻戦』の虎杖悠仁は祖父に育てられた。そして『ブラッククローバー』もこの例に漏れず、アスタの母は(今のところ)まったく登場していない。  だが、『ヒロアカ』にはデクの母親が明確に登場する。しかも、特殊な才能を持っているわけでもなく、ただただ息子の身を案ずる「普通の母親」として登場するのだ。デクの母親のキャラクターは少年ジャンプのヒーローとして異例中の異例だ。  そして、そんな母親が息子への愛ゆえにヒーローの頂点オールマイトを言い負かすことすらあるのだ。雄英高校が全寮制となる際に、ヴィランにやられ続けていた雄英高校の体制を疑問視したデクの母親は、「今の雄英高校に息子を預けられる程、私の肝は据わっておりません」と肝の据わった顔できっぱりと言い切る(96話より)。デクをめぐる母とオールマイトのやり取りを描いた96話と97話は、本作きっての名シーンだと筆者は思う。  それにしてもなぜジャンプのヒーロー漫画には主人公の母親は登場しないのか。これにかついて、『ONE PIECE』の尾田栄一郎氏が、なぜ『ONE PIECE』の登場人物には母親がいない、あるいはすでに死亡している場合が多いのか、という読者からの質問に対し、「なるほど。まあ、答えは簡単です。『冒険』の対義語が『母』だからです」と回答している(『ONE PIECE』70巻より』)。  そうした王道のお約束を『ヒロアカ』の作者、堀越耕平氏が知らなかったとは思えない。少なくとも担当編者は知っていないとおかしい。『ヒロアカ』は、意図的に王道からずらされているのではないか。  『ヒロアカ』には作品全体に、「ヒーローとは何か」という問いかけがある。社会にとってヒーローとは、なぜヒーローだけが暴力をふるっても許されるのか、ヒーローがいるからヴィランが生まれてしまうのではないかなど、ヒーローをめぐるメタ的な問いかけに溢れている。母親の登場もそうしたメタ的な問いかけの一環のように筆者には読める。  対して、『ブラクロ』はそうしたメタ的な問いかけよりも、まっすぐにジャンプ王道の物語を描くことを優先している。主人公アスタは教会の前に捨てられていた孤児という設定だが、今後その出生の秘密が描かれるのだろうか。しかし、もし特別な生まれであることが描かれたとしても、それはジャンプ王道のパターンのそれであり、デクの母親の斬新さとは異なるものになるだろう。しかし、そのベタさが本作の魅力ともなっていることもまた確かだ。  『ブラクロ』はあえてベタを貫き、『ヒロアカ』はあえてベタからずれる。ジャンプのヒーローとはどういう存在なのか、両作品を比較してみることで見えてくることが多い。この2本がこれからどんな展開を迎えるのか楽しみだ。

杉本穂高

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