自民党・河野太郎の目玉政策「東大を地方移転させる」は、なぜ実現困難なのか?
関東大震災と東大の危機
東大と東京との密接なつながりを物語る前例がある。1923年に発生した関東大震災である。死者・行方不明者総数約10万5000人、当時の東京市15区の66.5パーセントを焼失させたこの震災は、東大にも大きな被害を与えた(武村雅之『関東大震災がつくった東京』)。工学部や医学部の実験室などから出た火が燃え移り、震害を含めて本郷キャンパスの建物の三分の一が失われたという(『東京大学百年史』)。 震災直後、東大は研究・教育機関として当面立ちなおれないのではないか、という見方が広がった。とりあえず学生をほかの帝大に転学させるアイディアも浮上し、九州大では東大工学部の学生を引き取る案が協議された(『大阪朝日新聞』9月12日)。東大当局も乗り気で、転学希望者について、東大に在籍したまま京大や東北大で勉学を続けられるよう便宜を図る決定を下した(『東京大学百年史』)。
ところが、転学希望者はほとんどいなかったようである。『東京朝日新聞』は、「焼けても恋しい 東京の帝大 地方の大学へ転校者尠(すくな)し」という記事を掲載し、転学希望がごく少数にとどまったことを報じている(10月11日)。75万冊の図書館蔵書が燃え、実験設備が焼けてもなお学生は東京、東大にいることを選んだということだろう。三木が東大一極集中の背後に見た東京の魅力の強さの一例といえる。 東大側もこの点には自覚的だった。関東大震災の後、この際東大を郊外に移転させる案が浮上したが、学内からの強い反対もあり、頓挫した。文学部教授の松本亦太郎(またたろう)によれば、東大の指導的役割は東京都心に位置することによって維持されている、というのが大きな反対理由である。「伯林(ベルリン)に伯林大学の光があり、巴里(パリ)にソルボーン〈ソルボンヌ〉の光が輝く如く、東京に東京帝国大学の光が無ければならない」と移転反対者はいう。 *** 東大が東大たりえているのは、日本で唯一無二の文化都市・東京の都心部に位置するからだとすれば、いくら地方に優れた研究環境を用意しても、東大側が自ら移転する気になることはないだろう。「東京一極集中の是正」は、想像以上に難しい課題のようである。 ※本記事は、尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)に基づいて作成したものです。
尾原宏之(おはら・ひろゆき) 1973年、山形県生まれ。甲南大学法学部教授。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本放送協会(NHK)勤務を経て、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(政治学)。専門は日本政治思想史。首都大学東京都市教養学部法学系助教などを経て現職。著書に『大正大震災 忘却された断層』、『軍事と公論 明治元老院の政治思想』、『娯楽番組を創った男 丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』、『「反・東大」の思想史』など。 デイリー新潮編集部
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