あえて観客を“興奮させない”演出の狙いとは? 映画『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』考察&評価レビュー
かっこよく思わせることを拒否するような演出と音の使い方
今作は、スクリーンに映る戦争や決闘にただ興奮することを許さず、それらを冷静に見つめさせようとする演出をさらに際立たせている。 海から砦を攻めた北アフリカでの派手な戦闘では、ブーンという重低音が鳴り続け、圧迫されているようにすら感じた。映画館の環境や個人の感覚の違いもあるかもしれないが、特に前半はメロディの印象が薄く、とにかく圧迫感のある低音が耳に残る。ペドロ・パスカル演じる帝国の将軍、アカシウスの人物造形自体がそうだが、戦争の勝利者を勇猛かつ誇り高く見せることを否定し、それをかっこよく思わせることを拒否するような演出、音の使い方に思えた。 また、『グラディエーターII』では、皇帝による圧政が激化しており、ローマ内での貧富の格差を示すショットが随所に挟まれるのも特徴だ。コロッセオで暴力を娯楽として楽しむ人々がいる一方で、そのすぐ外には貧困に苦しむ人たちが映し出される。
デンゼル・ワシントンの忘れがたい名演技
前作とさらに大きく異なるのは、復讐と決闘を強調しながらも、赦す場面が訪れるところだ。 復讐を止め、相手を赦し、戦闘を中断する。門を隔て向かい合う2つの陣営の間に立つルシアスは非常に印象的だ。見た目は筋骨隆々だが、どこか柔和でマッチョさを感じさせないポール・メスカルは、こうした描写に説得力を持たせているように思える。前作のラッセル・クロウ=マキシマスの圧倒的な存在感には叶わないかもしれないが、ルシアスは、また違った形で、ローマの共和制の夢を体現する人物として映る。 このポール・メスカル=ルシアスと対になるのが、デンゼル・ワシントン演じるマクリヌスだ。奴隷から這い上がって大商人となったマクリヌスは、言葉巧みに人を操り帝国を乗っ取ろうとする。とある事情により、共和制の理念を含めたローマ全体への復讐者としても捉えられる。 ここでのデンゼルの演技は素晴らしい。トニー・スコット監督作での仕事人的なデンゼルの笑顔や『イコライザー』シリーズでの冷静な目とも違う。豪快に笑い、時に眼光鋭く、捉えどころがない。強い意志を持つ徹底した復讐者でありながら、艶やかで漂うような、本作ならではの魅力に惹きつけられる。権力の象徴である玉座を、撫でるように触るデンゼルを捉えたショットは忘れられない。 ルシアスとマクリヌスの行く末や、前述したローマ市民の格差を見ると、24年という時間と共に、対立がさらに激化した現実社会をどうしても読み取ってしまう。続編を通じて、この世界が抱える問題を思い浮かべずにはいられないだろう。 【著者プロフィール:島晃一】 映画・音楽ライター、DJ。福島県出身。『キネマ旬報』、『ミュージック・マガジン』、『NiEW』などに寄稿。『菊地成孔の映画関税撤廃』(blueprint)で映画『ムーンライト』のインタビューを担当。J-WAVE「SONAR MUSIC」の映画音楽特集、ラテン音楽特集に出演。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」や『散歩の達人』では、ペデストリアンデッキ特集といった街歩きの企画にも出演、協力。渋谷TheRoomでクラブイベント「Soul Matters」を主宰している。
島晃一