リストラ疲れのホンダ、新社長が吹かす新しいエンジン
強い競争相手に立ち向かう企業姿勢を
ホンダが4月に社長を交代する。八郷隆弘社長が率いた6年間は過去の拡大路線を修正するため、工場閉鎖など痛みを伴う改革が続いた。その間、自動車業界では異業種参入など競争環境が大きく変化した。社長のバトンを託された三部敏宏専務には、電動化や自動運転など次世代技術への対応加速が求められる。 珍しく決算会見に登場したホンダ社長、とても残念だった発言内容 「ホンダらしい魅力的な商品を提供し続けたい」。2015年6月に社長に就任した八郷氏は、16年2月に開いた記者会見でこう決意を示した。だが、タカタ製エアバッグの大規模リコール(無料の回収・修理)などが尾を引く中で迎えた16年3月期決算は、品質関連費用が膨らみ4輪事業の売上高営業利益率は1・4%に沈んだ。その後も20年3月期の1・5%まで停滞を続けた。 その要因は12年に世界で600万台以上の4輪車販売を目指すと発表した拡大戦略がある。八郷氏は改善に向け、狭山工場(埼玉県狭山市)や英国のスウィンドン工場など国内外で工場の閉鎖を相次ぎ決断。22年までに世界で生産能力を16年比約1割削減、生産領域の費用を25年までに18年比1割引き下げる改革に乗り出した。 ホンダ系サプライヤー幹部は「八郷さんはそこら中の工場を閉めなければならなかった。調達ではメガサプライヤーとは言わず、チームホンダで、と言っていた」と評価する。 ヒト型ロボット「ASIMO(アシモ)」など、ホンダの独創性を象徴する製品を生み出してきた本田技術研究所の再編にも切り込んだ。研究所の商品開発機能を本社に統合。創業者の本田宗一郎氏から続く仕組みにメスを入れた。 「(フォーミュラ・ワン〈F1〉再参戦など)飛躍する準備は整った。若いリーダーの下でチャレンジする時」。伊東孝紳前社長は15年2月に八郷氏への社長交代理由をこう述べた。その5年後に八郷氏は21年シーズンを最後にF1からの撤退も決断。「カーボンフリーの対応も重要なチャレンジになる。そこに技術者のリソースを傾けるべきだと判断した」(八郷氏)。 ホンダらしさを追求した八郷氏の6年間は痛みを伴う決断の連続だった。一方、電動化や自動運転技術の開発に経営資源を集中する事業基盤を築いた。改革の成果は次の経営陣に引き継がれた。 “ホンダらしさ”について三部氏は「商品そのものを指すとは考えていない。社会課題や新しい価値、強い競争相手などに対して立ち向かう企業姿勢だと思う。その時々で変わる課題に挑戦し、その過程を経て生まれた商品にホンダらしさが出てくる。最近は一歩外に出ると『(ホンダは)元気がない』といった話を聞くので、らしさを前面に出していきたい」と意気込む