「喜んでブルマーを履いてた女性なんていない」SNSを騒がせた”ブルマー論争” そもそもなぜ導入され、廃止されたのか?
ブルマーが廃止された社会的な背景
「私が中学生だった1980年代でも、女子学生たちはブルマーを履くのを、“体型が丸見え”“はみパン”などの理由で恥ずかしがっていました。基本的には避けたがっていたのだろうと思っています。この感覚は、男子に見られることを意識する思春期の女子としては、局地的な感覚ではなく、どの地域でもあったのだろうと想像できます。 そんな中、1990年代にブルセラショップができたことで、ブルマー廃止に向けての動きが活発化していきました」(渋井哲也氏、以下同) 使用済みのブルマーやセーラー服を販売しているアダルトショップ「ブルセラショップ」。当時、下着も販売する店もあり、どんな女子生徒が履いたり、着ていたことを示す写真付きのものもあったという。 ブルセラは成人向け雑誌の中で生まれた言葉で、ちょうどこのころ、ブルマーをめぐる性的な記事が増えていた。 成人向け雑誌はアングラ的な存在だったため、当初は一部の人たちの情報だったはずだが、ブルセラをめぐる事件も起き、マスメディアで報じることもあり、条例改正にもつながっていったのだ。 こうした流れの中で「ブルマー=性的なもの」というイメージが徐々に広がっていったという。 「恥ずかしさと性的なニュアンスを感じるという意味で、ブルマーを避ける傾向もあったのではないかと思います。1986年に男女雇用機会均等法が成立し、1989年の流行語大賞で『セクシャルハラスメント』が選ばれたのも背景にあったのではないでしょうか。 そうした風潮が広がり、学校や教育委員会側もそのことを意識してか、ブルマーが廃止される流れができていったのではないかと考えられます」
男? 女? ブルマーを日本に広めたのは……
そもそも、結局日本では誰がブルマーを広めたといえるのだろうか。 「ブルマーはもともと女性解放運動の象徴でしたが、日本で体操着として広まったのは明治時代で、女子高等師範学校で使用されていました。この頃は“はかま型”でした。多くの人がイメージする“密着型”が普及し始めるのは1960年代です。1964年の東京五輪で女子バレーボールチームが履いていたことで、大衆的なイメージができたのだろうと思います。 その後、現在の中体連が全国のスポーツ大会を主催するようになり、制服メーカーに推薦を与えました。そのときに、多くの人たちがイメージしている“密着型”が生まれたと言われています。そのため、業者が全国の学校に営業をしました。 密着型ブルマーを広めたのは男性か? 女性か? を考えると、当時の意思決定に誰が関与していたのかを調べればわかるとは思いますが、時代背景として、意思決定にかかわるのは男性が多かったのではないかと想像できます。となると、広めたのは男性ではないかと思います」 突如、SNSで巻き起こったブルマー論争。意外なところから、日本の体育教育の歴史を知るきっかけにもなった。 取材・文/集英社オンライン編集部 写真/shutterstock
集英社オンライン編集部