安達祐実が認知症患者を熱演 『にじいろカルテ』第3話はこれまでとは違うエピソードに
休診日の虹ノ村診療所を訪れ、焦燥した様子で「私は誰なんでしょうか?」と問いかける雪乃(安達祐実)。思いも寄らぬ問いに動揺する真空(高畑充希)とは対照的に、手慣れた様子で各所に連絡するなど対応していく朔(井浦新)と太陽(北村匠海)。2月4日に放送された『にじいろカルテ』(テレビ朝日系)第3話は、前2回のエピソードとは少し異なるかたちで、村人たちが付き合うある病が描写されていく。 【写真】涙をにじませる安達祐実 3年前から認知症を患い、数週間や数カ月に1度すべての記憶がリセットされる雪乃のために、幼なじみの嵐(水野美紀)と氷月(西田尚美)、そして雪乃の夫・晴信(眞島秀和)が診療所に駆けつける。嵐と氷月は慣れた様子で雪乃に向き合い、彼女に名前を教え、認知症であることを教え、また少しすればゼロに戻ってしまうことを教え、「病気でも不幸じゃない」と伝える。そして雪乃の記憶を辿りながらお互いの過去を共有していくうちに、真空は自分が隠していた現実と直面することになるのである。 アルバムで幼い頃の写真(しかも本物の安達祐実の子供の頃の写真ではないか!)を見せながら、ひとつひとつ丁寧に雪乃という人間の歴史を一緒に辿っていく嵐と氷月。すっかり荒れ果てた生家を訪れ、少し取り乱した様子の雪乃に対して「わからないからって苦しまなくていい。思い出さなくていい。新しく頭に入れて」と語りかけるなど、雪乃とともに病と向き合おうとする強さを見せる2人が、自分たちの過去を涙ぐみながら語る姿に、一緒に缶蹴りをして笑い合う姿。喜怒哀楽を惜しみなく出すことによって、たった数時間で友情を取り戻していく。このドラマの描く、人のあたたかさというテーマの根源がたしかにそこにはあり、その点においては第3話にして想像以上に涙腺を刺激されるものがあった。
これまでも描かれてきた“記憶障害”
しかしどうしても、今回の劇中に描かれた病の描写については引っかかりがある。朔が序盤で真空に教える雪乃の病名は「まだら認知症」。これは脳血管性認知症に特有の、“できること”と“できないこと”に差があるという特徴のことで、例えば記憶力は低下しているけど判断力ははっきりと残存しているというようなケースを指す。もっとも、認知症であれば記憶障害は高い確率であるわけだが、劇中のような全生活史健忘、つまりは記憶喪失が定期的に何度も繰り返されるというのは少々極端なように思えてならない。いずれにせよ、放送時間中にSNS上で見受けられた「まだら認知症」=たびたび記憶がリセットされること、というのは誤りだというのは念のため記しておきたい。 ちなみに“記憶障害”を描いた作品といえば、若年性アルツハイマーを描いた『私の頭の中の消しゴム』や、外傷性による前向性健忘のヒロインを描いた『50回目のファースト・キス』など数え切れないほどあり、ある種物語に“切なさ”を生み出すうえで典型的な要素ともいえる。今回の劇中、雪乃の記憶を取り戻す作業の間、夫の晴信は朔や太陽と一緒に雪乃の好物のカツサンドを作って診療所で待っている。仮にこれが雪乃と晴信のラブストーリーに比重を置くのであれば、先に挙げた作品のような症状を描いたほうが賢明だったわけだが、あえてそうはせず。すべての記憶を失わせる描写を選んだのは、限りなくより古い記憶に比重を置くことで、幼なじみとの友情にフォーカスを当てるねらいがあったものと推察できる。
久保田和馬