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難病抱え欧州転戦 メダリストを突き動かす思い 「生きた証しを」 プロ転向、新たな挑戦

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 もちろん最初はフィンランド語がしゃべれず、日常生活にも苦労した。コーチの家にホームステイして地元の学校に通いながら飛躍を繰り返し、徐々に力をつけた。2005年に日本の海外遠征メンバーに抜てきされた。  国外でジャンプを磨いて日本代表の主力にまで成長したのは竹内だけ。母の昌子さんは「思ったことにまっしぐら。昔からまっすぐだった」と振り返る。前例がないことに果敢に挑戦する姿勢は昔も今も変わらない。  実は、ソチで手にした団体の銅メダルを見ると「悔しさがこみ上げてくる」という。試合直後は、病を抱えながら表彰台に立てたことで感極まった表情も浮かべたが、時間がたつにつれて「自分で『取った』ではなく、仲間に『取らせてもらった』メダル」という気持ちが膨らんできた。自分を五輪の表彰台まで押し上げてくれた葛西らチームメートに感謝しつつ、一人のアスリートとして「個人の金メダルがほしい」という意欲が一層強くなった。

 昨年の平昌五輪は個人、団体ともメダルを獲得できなかった。プロとしての活動を通じて日本のジャンプ界を盛り上げながら、個人としては22年北京五輪で頂点に挑む。

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