Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

難病抱え欧州転戦 メダリストを突き動かす思い 「生きた証しを」 プロ転向、新たな挑戦

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
47NEWS

 強い薬の副作用で顔には吹き出物ができ、筋肉もそげ落ちた。それでも直後の五輪を諦めなかった。病室でも感覚を忘れないようにジャンプの助走姿勢を組んだり、筋力維持に努めたり、体調を必死に整えてソチ入りした。  ノーマルヒルが24位、ラージヒルは13位。決して満足はできない結果で個人戦を終えた。迎えた最後の団体。日本の2番手を務め「今できる精いっぱいのジャンプ」を繰り出してチームの3位に貢献した。日本が五輪の団体でメダルを獲得したのは、地元で優勝した1998年長野五輪以来だった。  突然の病気で「自分がいつ死ぬか分からない」と自覚したことが、プロ活動を始める背景にある。「生きた証しを残したい」。竹内にとっては、日本でジャンプの認知度を少しでも上げることが、その「証し」だ。  ジャンプに長い歴史があり、高い人気を誇る欧州では、W杯会場に数万人の観客が詰めかけてお祭り騒ぎになることは珍しくない。しかし日本で広く注目されるのは、4年に1度の冬季五輪ぐらい。札幌で例年開催されるW杯も集客面ではドイツやオーストリア、ポーランド、スロベニアなどと比べると著しく見劣りする。ソチ五輪で葛西紀明(土屋ホーム)が個人の銀メダルをつかみ、日本が団体3位になっても、国内の状況はあまり変わっていない。

 竹内はプロになって競技の枠を超えた活動をすることで、日本のジャンプ界に風穴をあけることを狙っている。  ジャンプの経験者でIT企業を経営するパートナーをチームtakuに迎え、公式ウェブサイト(https://taku-takeuchi.com)、ラインやインスタグラムなどの会員制交流サイト(SNS)を駆使してファンやスポンサーに直接アプローチ。育成年代を対象にした競技会を開催して競技人口の拡大を目指す。自分のアパレルブランドを立ち上げて、競技とこれまで関わりがなかった層の掘り起こしももくろんでいる。  多岐にわたる活動の資金を調達するために、インターネットのクラウドファンディングを活用する予定。ウェブサイトの「CAMPFIRE(キャンプファイヤー)」で12月21日から来年1月30日まで、支援を募る。  長野五輪で大活躍した日の丸飛行隊に刺激を受けてジャンプにのめり込んだのは、同世代の日本のジャンパーたちと同じだ。しかし、その後は人とは違うレールを歩んできた。長野県飯山市の中学で目標としていた日本一を逃し、卒業後に「より厳しい環境で成長したい」と、当時は世界的にトップクラスだったフィンランドに約3年間、単身で留学した。

【関連記事】

最終更新:
47NEWS