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南洋の島の慰霊碑、民家の踏み石に 飛行場建設担った受刑者ら犠牲、歴史の風化懸念

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 75年前の8月、太平洋に浮かぶ北マリアナ諸島のテニアン島を飛び立った米軍のB29爆撃機は、広島と長崎に原子爆弾を投下した。その飛行場を建設したのは、日本各地の刑務所から集められた受刑者たちだった。テニアン島のほか、マーシャル諸島のウォッジェ島など、日本の委任統治領だった地に派遣されて飛行場建設に従事。監督のために同行した刑務官も含め、多くの死者を出した。彼らのために日本からウォッジェ島に送られた慰霊碑は、時が巡り、民家の踏み石になっていた。(共同通信=今村未生)  ▽細長く四角い石  日本から約4200キロ離れた場所にあるウォッジェ島は、ヤシの木が生い茂り、青い海が広がる美しい南の島だ。4年前、踏み石となっていた慰霊碑を発見した森山史子さん(43)は「石の状態を見て、どうしても見過ごせなかった」と振り返る。  森山さんは2011~13年、青年海外協力隊の一員として首都マジュロに滞在した。出身は長崎県佐世保市。米国が水爆実験を行ったマーシャル諸島への赴任は自ら希望した。「長崎県と歴史的背景の似ているマーシャル諸島の人たちの暮らしを見たい」と考えたことが理由の一つだ。

 慰霊碑を見つけたのは16年。任務を終えて帰国した後、マーシャル諸島での経験を生かし、戦死した父親を慰霊する日本人男性の旅に同行している途中だった。「何だろう」。立ち寄ったウォッジェ島の民家で、踏み石として横たわる細長くて四角い石に目を凝らした。「殉歿者之碑」などの文字が刻まれていたが一部は欠け、その時は何の石か分からなかった。  ▽赤誠隊  日本に戻り、たまたまマーシャル諸島の歴史についての本を読んで驚いた。そこには、戦時中に法務省が全国から受刑者を横浜刑務所(横浜市)に集めて「赤誠隊(せきせいたい)」を結成し、ウォッジェ島やテニアン島に派遣したことが記されていた。「時が過ぎると調べられなくなる。見て見ぬふりをすれば、一生後悔するかもしれない」という思いが、体を突き動かした。  森山さんは旧知の元駐マーシャル諸島大使に相談。知り合いの大橋哲・法務省矯正局総務課長(現・矯正局長)を紹介してもらった。森山さんが矯正協会発行の「戦時行刑実録」に慰霊碑のことが触れられていることを知って目を通すと、大きさは高さ約120センチ、横約24センチで、見つけた石とほぼ一致することも分かった。大橋局長は「赤誠隊のことは知っていたが、慰霊碑が島に残っているとは驚いた」と話す。

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