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フランス代表の“名勝負“5選――二人の“将軍“が紡いだ歴史。そしてエムバペ時代の到来へ

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THE DIGEST

 ミシェル・プラティニ、ジネディーヌ・ジダンといった稀代のタレントがチームを牽引してきたフランス代表は、その長い歴史の中で数々の「名勝負」を生み出してきた。そのなかから「5つ」をピックアップするとしたら、どの試合になるのか。欧州サッカーに精通する識者に、とりわけ強烈なインパクトを残した5試合を選んでもらった。     ◆    ◆    ◆ 1982年7月8日 スペインW杯準決勝 vs西ドイツ ●3延長3(4PK5) 得点者/フランス=プラティニ、トレゾール、ジレス      西ドイツ=リトバルスキ、ルムメニゲ、フィッシャー  今なお語り継がれる、ワールドカップ史上に残る死闘だ。  両軍が前半に1点ずつ奪い、1-1のまま突入した延長戦。早々の92分にマリユス・トレゾールのボレーが決まり、フランスはこの試合初めてリードを奪う。さらにその6分後には、アラン・ジレスがペナルティーエリア手前から強烈な右足シュートを見舞い、これで3-1。しかし、ここから西ドイツの反撃が始まる。  ゲルマン魂を呼び覚ます追撃弾を決めたのは、カール=ハインツ・ルムメニゲ。怪我でスタメンから外れていたエースが、出場して5分後にゴール前の混戦から押し込んだ。これで1点差に詰め寄った西ドイツは、さらに108分、クラウス・フィッシャーのオーバーヘッドで同点に追いつくのだ。  PK戦でも両軍とも譲らない。両GKの好セーブで1人ずつ失敗し、サドンデスに突入する。勝負が決したのは6人目。先攻フランスのマクシム・ボシスが失敗したのに対し、後攻の西ドイツはホルスト・ルベッシュが冷静にネットを揺らす。両チームがすべてを出し切った激闘は、こうして西ドイツの勝利で幕を閉じた。  この試合で物議を醸したのが、西ドイツのGKハラルト・シューマッハーの60分のプレーだ。プラティニのスルーパスに抜け出し、シュートを放ったパトリック・バティストンに、ゴールマウスから飛び出してきたシューマッハーが強烈なヒップアタックを見舞ったのだ。その衝撃でバティストンは失神。歯が2本折れ、肋骨3本にひびが入る重傷を負ったバティストンは、投入からわずか10分後に意識を失ったまま担架で運び出された。  プレー完了後の危険なプレーにもかかわらず、レフェリーはシューマッハーにイエローカードすら出さず、フランスには与えられるべきPKが与えられなかった。「たら・れば」になるが、もしここでPKが与えられていたら、フランスが史上初めてワールドカップ決勝に勝ち進んでいたかもしれない。 1984年6月24日 EURO準決勝 vsポルトガル ○3延長2 得点者/フランス=ドメルグ2、プラティニ      ポルトガル=ルイ・ジョルダン2  当時、絶頂にあったミシェル・プラティニの大車輪の活躍により、フランスが悲願のビッグトーナメント初優勝を果たしたEURO1984。フランスにとって最大の試練となったのが準決勝のポルトガル戦だ。  戦前の予想では、ホストカントリーでもあるフランスが圧倒的に優位。フランスで最も熱いマルセイユのファンの大声援を背に受けた優勝候補が、64年ワールドカップ以来の主要大会出場(EUROは初出場)となる伏兵に、よもや負けるとは考えにくかった。だが大方の予想に反し、フランスは大苦戦を強いられる。  フランスの前に立ちはだかったのが、GKマヌエル・ベント。ジャン=フランソワ・ドメルグのFKで24分に先制したものの、この小柄なGKの再三の好セーブにより追加点を奪えない。そして74分、守備の連係ミスからルイ・ジョルダンに同点ゴールを奪われてしまうのだ。さらに延長前半に再びジョルダンにゴールを許し、一転して追い詰められてしまう。  それでも勝利をつかむことができたのは、チームとしての底力に加え、熱狂的なファンの後押しがあったからだろう。114分にドメルグ、そして終了間際の119分にプラティニが自身の大会9つ目のゴールを決めて逆転。執念で勝利を手繰り寄せ、ファイナルに駒を進めた。

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