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貧乏東大生が見た「金持ち東大生」との残酷格差

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東洋経済オンライン

近年、日本中で加速しつつある格差。それは東大生にとっても例外ではない。学生時代は「貧困者」だったことを自認する東大出身者が語る「金持ち東大生」との驚くべき格差とは?  東大出身ライターの池田渓氏による『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』より一部抜粋・再構成してお届けする。 「東大・京大への合格者が多い学校」ランキング  多くの人が一カ所に集まると生じるのが格差だ。東大においてもそれは例外ではない。むしろ、東大という特殊な場所だからこそ、目立って生じる格差がある。

 まずは、なんといっても能力の差だ。東大には、「本当に頭のいい人間」があちこちにいて、入学直後からそういう人たちを間近で見ることになる。  地元では「神童」扱い。東大に合格した際には、通っていた塾の広告塔としてテレビCMにまで出演した若者――なにを隠そう僕のことだ――も、東大に入ってみれば凡庸な、というか、どちらかというと中の下の能力しか持たない人間であったことを思い知ることになった。  例えば、僕の駒場時代(1、2年生時分)はこんな感じだった。必修科目である数学の担当教官は、ただでさえ難解な講義を、なんということだろう、片言の日本語で行うドイツ人だった。

 元から数学が苦手だったこともあり、僕には教官が話していることがサッパリ理解できない。ならばと、推薦図書とされていたバカ高い専門書をバカ真面目に買って読んでみるが、書かれてある数式の上をひたすら目が滑るだけだった。  こうなると、講義中の教官の言葉は、単なるノイズとして右の耳から左の耳へと抜けていく。数学は完全な積み重ねの学問だから、理解が止まった場所から先へは一歩も進めなくなった。 ■決して埋められない「能力格差」

 一方で、高校生のころに数学オリンピックに出場したというクラスメートは、毎回嬉々として講義を受けている。どうやらこの意味不明な講義は彼にとって大変充実した時間であるようだ。しばしば、教官と熱いディスカッションをしている。しかも、日本語が不得手な彼に配慮して英語で!   またあるときはこうだ。みなで同時に学びはじめた中国語の試験が近づいてきたころのことである。こちとら赤点を回避するべく必死になってシケプリ(学生間で共有される試験対策プリント)にかじりついているというのに、クラスメートの何人かはすでに学内にいる中国人留学生、すなわちネーティブとの、日常会話をこなしている。

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