SMAPと日本文化の30年
先日、昨年末に解散した国民的アイドルグループSMAPのメンバーのうち3人が、所属事務所を去るというニュースが流れ、再結成を願っていたファンに失望感が広がりました。 なぜ、彼らは30年もトップアイドルで居続けたのか ── 。建築家であり、文化論からみたアイドルについての著書もある名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんが、SMAPの歩みと、この時代の日本文化について考えます。 ----------
SMAP現象の文化的解釈
SMAPというグループには、不思議な「華・花」があった。 特にファンとはいえない僕でもそう感じていた。 すでに昨年から解散が報じられていたが、このほど、その内の三人がジャニーズ事務所を去るという。幅広いファンがショックを受けているようだ(*1)。20代、30代、40代、さらに50代の女性ファンも多く、解散騒動以来「SMAPロス症候群」という言葉さえできている。 このグループは1988年に結成された。 ということは、30年近くのあいだ、浮き沈みの激しい芸能界にあってトップ・アイドルの地位を守ってきたのだ。これは珍しい、またきわめて日本的かつ現代的な現象であった。SMAPを考えることによって、この30年間の日本文化を解釈することもできるのではないか。
なぜこれほどの人気が保たれたのか。
プレスリーやビートルズやマイケル・ジャクソンといった人たちとは異なり、歌や踊りに特別な才能があるわけではない。しかしこの五人がそろうと、他のアイドル・グループにはない独特のオーラを発し、それが時とともに衰えるのではなく育っていくのである。 世阿弥は、能役者の「花(輝き)」には、若い時だけの「時分の花」と、年を取って技が熟してからの「真の花」があるという(*2)。SMAPには、単に少年アイドルとしての「時分の花」にとどまらないものがあったようだ。 そしてメンバーのそれぞれに個性がある。 中居は取りまとめ切りまわしが上手く司会にはうってつけである。木村は何をやらせてもこなしスター性は抜群である。稲垣、草なぎ、香取には演技力があり、稲垣は控えめだが知的な感性をもった役が、草なぎは一癖ある変人の役が、香取は異様なパワーを感じさせる役が似合い、それぞれにファンがつく。つまりSMAPファンは、メンバーそれぞれの個性に自分の個性と好みを当てはめることができるのだ。 五人で一体となったチームとしての性格ではなく、それぞれの個性の集合が、単なる加算以上の魅力となっている。粒がそろっているというわけではなく、むしろ粒がそろわないことによる多角的吸引力、つまり五つの触覚が、時代の総体をとらえたのである。 SMAPという言葉は、スポーツとミュージックのために集められた人々という意味だそうで(*3)、芸能化しつつあるスポーツを先取りしたところはジャニー氏の慧眼だろうが、実際のプロモーションには、敏腕で知られる女性マネージャーの存在が大きかったようだ。