“地球の反対側” パラグアイで平和展「ここからも平和を訴える」日系3世に受け継がれる思い
只野さんや、現地で活動する他の隊員に会場の様子を撮影してもらいました。2日間にわたる平和展には、ラパス日本語学校の子どもたちや現地の学校の生徒が時間ごとに分かれて訪れました。 (只野さんと子どもたち) 「なんで原子爆弾が広島に落とされたんでしょうか。ちょっと難しいと思います…」 「戦争」 「よく知っているね!」 只野さんは、原爆による被害や広島の平和への取り組み…、世界では今も戦争による被害が出ていることなどを話しました。地元の学校に通うパラグアイ人の生徒たちも、講話に真剣に耳を傾けていました。 (地元の小学生) 「(展示や講話の内容は)信じられませんでした。当時、そこにいた住民の悲しみを感じました」 (地元の高校生) 「(展示を見て)講演で只野さんが語っていた『この時代に生きられる幸せ』を感じさせられました」 平和をつくっていくためのきっかけの一つとして、参加者みんなで折り鶴を折りました。 折り鶴を初めて折った子どもたちも多いようです。 (子どもたち) 「もう1個折ろう」 「おもしろいよね!」 「おもしろい」 みんなで平和を願って折った折り鶴は千羽鶴になりました。平和展の感想を、日本語学校の校長先生がインタビューしてくれました。 (松村博也 さん 小学6年生) 「核爆弾をなくしてほしいと思いました」 (松永透 さん 小学2年生) 「戦争の恐ろしさを学びました。ほかにもたくさん日本のことを学べてうれしかったです」 ただ、日本の戦争の歴史を授業として詳しく学ぶことはないため、特に低学年の子どもたちにとっては難しい内容もあったようです。 (低学年の子どもたち) 「見て、これ! 見て!」 (只野杏奈さん) 「あのときはきゃっきゃしてみちゃったけど、大人になったときに、あのとき、ああいう悲惨なもの見たなって記憶に残ればなと思います」 さっそく「自分にできること」を考えた頼もしい生徒もいました。 (河野錫 さん 高校生・祖父が北広島町から移住) 「こういう日本人アジア人って感じだと聞かれるんです。原爆とか…」
河野さんは会場準備などを手伝い、只野さんが任期を終えて帰国したあとは平和展の開催を引き継ぎたいと名乗り出ました。 (只野杏奈さん) 「先生、わたしが引き継ぐよ!って言くれてすっごくうれしかったです。やって良かったなって思いました」 (河野錫さん 高校生・祖父が北広島町から移住) 「なんでパラグアイに生まれたんだろうって考えた時に広島、唯一の被爆国の血を受け継ぐものとして、ここからも平和を訴えていくことが今、わたしにできることかなって思いました」 遠く離れた地球の反対側でも、平和をつなぐ取り組みが進んでいます。
中国放送