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リーガで成長していた家長昭博。 自信があった2年目に事態は急転する

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現役時代はバルサなどで活躍したテクニシャン、ミカエル・ラウドルップ監督が高い評価を与えるほどだった。  2年目の2011-12シーズンは勝負と目されていた。 「1年目のプレービデオを見て、あかんところを徹底的に分析しました」  そう語る家長は準備万端だった。 「ひとつは、トレーナーから『走り出しの一歩目の歩幅が大きい』と指摘されて、体の使い方や足さばきを改良し、歩幅を調整しました。もうひとつはターン。自分は右にターンするとき、もたつく癖があった。なので、体の倒し方を工夫しました。走り出しの加速が改善され、ターンのステップも合ってきて、やれるんちゃうか、と」  家長は、スペイン挑戦と真摯に向き合っていた。  ところが、その立場は急転する。開幕直後、ラウドルップ監督がフロントと衝突し、解任の憂き目にあうのだ。新監督ホアキン・カパロスは、日本人MFをはなから構想に入れていなかった。  家長は12月まで、出場はわずか4試合。そのうちの2試合は開幕直後のラウドルップ時代だった。得点は0だ。

「移籍先探しが難航している」  当時の現地メディアは、放出の筆頭候補として家長の名前を挙げていた。  2012年2月、家長は韓国のKリーグ、蔚山現代に期限付きで移籍している。そこで目立った活躍は見せていない。その後、2012年7月には古巣であるガンバ大阪に、同じく期限付き移籍。J2降格を経験するなど、低迷は続く。2013年の前半はJ2でプレーしていた。  2013年7月には、2部に降格していたマジョルカに戻り、半年在籍した。しかし、リーグ戦は7試合出場にとどまった。これで契約は満了になる。  そして2014年1月、家長は大宮アルディージャへの完全移籍を選び、スペイン挑戦は静かに幕を閉じた。 「大久保(嘉人)さんは、スペインに来る前のひとつの物差しでしたね」  家長はスペインでそう語っていた。 「大久保さんは劇的なゴールを決めて、活躍もしていたので、"日本人がやれないことはない"というのはわかっていました。だったら、何を苦労して大変やったのか、と。自分なりにリサーチして、『コミュニケーションの部分だ』というのが結論でした。だから、2年目でスペイン語を勉強していて、まだまだ足りないところですが、もっと上達したいですね」

彼は傾向と対策を汲んでリーガに挑み、サッカーセンスも申し分もなかった。しかし、ひとりの監督の考え方次第で運命は変転した。そうなると、やはりハンデの方が大きくなってしまうのだ。  Jリーグに戻ってからの家長は、以前にも増して重量感のあるドリブルを見せるようになった。なにより、勝負どころで強さを発揮した。2018年、川崎フロンターレの戴冠に貢献し、リーグ終盤、優勝が懸かった試合でのゴールは圧巻だった。MVP受賞は、スペインでの苦心惨憺が咲かせた花だったのかもしれない。

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

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