「死海文書」を書いたのは誰か? イスラエル紙が最新の学問的見解を紹介
2021年3月、イスラエル考古学庁が「死海文書」の新たな断片を発見したと発表し、世界中の知的好奇心がかき立てられた。だが、誰がこの死海文書を書いたのかは、謎に包まれたままだ。イスラエル紙「ハアレツ」の考古学担当記者が最新の学問的見解をまとめる。 【画像】クムランの洞窟で発見された「死海文書」 「死海文書」を書いたのは誰か? 定説では、書き手は「エッセネ派」だ。たぶんそうなのだろう。彼らが、全部ではないにせよ、その大半を書いたのだろう。だが、それはもはや学者たちの統一見解ではなくなっている。 そもそも、エッセネ派とは何者だったのかという疑問も未解決だ。 「死海文書(Dead Sea Scrolls)を書いた人々を形容する最も中立的な用語は、『巻物教派(スクロールズ・セクト)』です」と解説するのはイスラエル考古学庁のオレン・アブレマン博士だ。 「誰がこれらの文書を書いたのかはわかりませんが、文書は書き手たちの信仰や生活の仕方についてかなりのことを語っています」
「死海文書」とはそもそも何か?
書き手問題を考えるうえで、さらにややこしい話がある。これまでに見つかった羊皮紙やパピルス、銅製の巻物群からなる「エッセネ文庫」は、単体の作品でないのだ。 これらの巻物は、死海に近いクムランの洞窟でボロボロの状態で発見されたために、いったい何本あるのかすらわからない。数百本かもしれないし、多く見積もれば1000本近い。 これらの巻物は、紀元前2、3世紀から紀元1世紀、つまり、ヘレニズム時代からローマ時代にかけて書かれた。ヘブライ語で書かれたものあれば、アラム語やギリシャ語で書かれたものもある。 いくつかのテキストは聖書の本文だ。実際、それらはこれまで見つかったなかで最古の聖書写本だ。聖書に含まれていないテキストもある。
「死海文書」はどれくらいあるのか?
厳密に言えば、完全な状態のものはひとつもないとアブレマンは言う。2021年の3月半ばに発見が報じられたものについても同様だ。 「完全」と見なされうる3巻(「イザヤ全書」「ハバクク書註解」「証言」)でも、抜けている単語や不完全な文章はあるとアブレマンは言う。 4本目の巻物「共同体の規則」にも抜けている単語や部分がある。だが、抜けている部分が集中しているのは、この写本の終わりにかけてだ。その終わりには、また別なテキストがふたつ(「会衆規定」と「祝福規定」)含まれているとアブレマンは説明する。 「つまり、『共同体の規則』について多少なりとも完全と言えるでしょうが、別のふたつのテキストは部分的にしか残っていないわけです」 考古学者でイスラエル考古学庁「死海文書班」のジョー・ウジエル班長は言う。 「これらの巻物は、2000年ほど前に洞窟に保管されたものです。砂漠という乾燥した環境は巻物の保管に最適ではあれど、さまざまな要因ゆえに損傷はあります。大半は発見されたとき、すでに断片的でした」 これらすべてを合わせると、現時点で私たちのところにあるのは、ほぼ完全な巻物が4本、断片が約2万5000ということになるとアブレマンとウジエルは言う。