フーディーたちが大絶賛! 日本の自然を五感で感じる一皿を作る期待の若手料理人の世界観に迫る
本田直之グルメ密談―新時代のシェフたちが語る美食の未来図
食べロググルメ著名人として活躍し、グルメ情報に精通している本田直之さんが注目している「若手シェフ」にインタビューする連載。本田さん自身が店へ赴き、若手シェフの思いや展望を掘り下げていく。連載第10回は、埼玉県川口市にある「Restaurant KAM(レストラン カム)」の本岡 将シェフ。本岡さんは、23歳でパリのレストラン「アガペ」のスーシェフを経て、静岡の名フレンチ「ビオス」の料理長に就任、25歳で日本最大級の若手料理人コンテスト「RED U-35 2018」で準グランプリを獲得するなど、弱冠31歳ながら輝かしいキャリアの持ち主。自然と語り、自然と共生するレストランを作った期待の若手料理人の未来の展望とは?
自然体で選んだ、子ども頃から身近にあった料理への道
本田:何歳になったんだっけ? 本岡:ちょうど先月で31歳になりました。 本田:子供の頃から料理人になろうと考えていたと聞いたけど、おばあちゃんの影響で?
本岡:中学校の時、校区が近かったので祖父母の家で生活してたんです。祖母には小さな頃から、ちゃぶ台拭き、食器の用意などの手伝いをさせられていて、果物の皮むきや、餃子作りなども教えてもらいました。印象に残っているのは、季節のものを取ってこいとよく言われたことです。2月になったらふきのとうが出るから、山の崖で採ってきてとか。ふきのとうはつぼみが開いていたら香りが飛んでいるから、土にちょっと潜っているのを根っこから抜いてこいみたいに。採ってきた山菜の下処理をすることもありました。 本田:それすごいね。子供の頃なんて山菜に全く興味ないでしょ? 本岡:その通りで、当時は“やらされている”という感覚でしたね。将来のことを考えるようになったのは中学校の進路相談からです。親戚のほとんどが会社員で「会社勤めは月曜から金曜までは大変で週末が楽しみ。5/7辛くて、2/7楽しい」とその頃よく聞いていました。人生はほぼ仕事なのに、5/7の人生が辛くて2/7の人生が楽しいというのは、なんか嫌だなあとそのとき思いました。早くに仕事に携わった方がいいと思ったのは部活の経験からです。中学の時、バドミントンをやっていて、全国大会決定戦で負けてしまい、出場できなかった。相手は小学校の時からバドミントンをやっていたような子たちばかりで、ぜんぜん叶わなかったんです。その時、やるなら早くに始めるのに越したことはないなと思いました。最初は何を仕事にすれば良いのかわからなくて、でも好きなことを仕事にすれば7/7楽しいんだろうなと思いました。好きなことって何だろうと考えた時、家族のように当たり前に存在して、好きかどうか考えないけど、問われれば好きだと答えられる、そんな存在が料理だったんです。自然に続けてきたから、嫌いにならないんだろうと思いました。