フーディーたちが大絶賛! 日本の自然を五感で感じる一皿を作る期待の若手料理人の世界観に迫る
本田:やらされている感じはあったけど、結局好きだった。 本岡:手伝いながら、どうやったら山菜のえぐみを抑えて食べられるかなとか自然に考えたりしていて、好きなのかなと少し思っていました。自主的ではなかったけれど、これからもずっと料理を続けていくという未来が自然に見えたんです。
本田:超英才教育だね。子供の頃からやっている人って強いんだよね。味覚も強くなる。料理を習うのも家庭科みたいなイメージがあるからさ。あんまやりたくない。おばあちゃんと暮らして、毎日料理して、それが今のベースになっているよね。 本岡:山菜など、その季節にしか食べられないものに接してきたので、勤めはじめた頃から高級レストランの皿は季節が感じにくくなっているなと思いました。例えば、東京だと1月からそら豆を使いますが、そら豆って別名「五月豆」と言って5月が旬なんです。新芽から花、根まで、野菜には走りや旬があることが皿からわかればいいなと思います。
本田:その技術は重要だね。なかなか後から身に付けるわけにもいかないわけだし。子供の時からできている人って、多分日本のシェフの1%もいないよ。 本岡:おいしいお店が増えている中、自分たちは、奇抜なコンセプトを考えるのではなく、何が好きか、どういうものを見てきたかというルーツを自然に表現できればと思っています。
本田:調理師学校を卒業した後、スペイン・バスクやフランスに行った。バスクはどこに行ったの? 本岡:サンセバスチャンです。「Kokotxa(ココチャ)」というモダンスパニッシュで有名なレストランで3カ月間だけ働きました。その後、ボルドーやいろんなところを転々として、最後に入ったのが「アガペ」です。最初、部門シェフで入って、そこからスーシェフになりました。就労ビザの切り替え時に、3軒ほどから話をいただいたんです。一つは世界のベストレストラン50にも選ばれているデンマークの「ゼラニウム」、もう一つがイギリスの「The Square(ザ・スクエア)」。最後にいただいたのが静岡の「レストラン ビオス (restaurant BIO-S)」(現在閉店)のお話でした。「ザ・ジョージアンクラブ(現オーベルジュ・ド・リル トーキョー)」の元料理長で、今はブルターニュ地方カンカルでレストランをされている久高章郎さんの紹介です。 本田:そういう紹介だったんだ。 本岡:オーナーの方とお話しすると、レストランは、あと3年で10周年になる、その機会に店を閉めようと思っていて、最後のシェフを探しているということでした。ぜひ一緒にやりたいと誘ってくださって、それで帰国して「ビオス」で働くことになりました。 本田:チャンスだよね。日本にいたら23歳で任せてくれる人はいないもんね。いろいろ人に恵まれているね。そういう出会いとか。「ビオス」で働いて、その後は、もう自分でやろうと思っていた? 本岡:「ビオス」では、10周年の有終の美を飾りたいと思っていたので、オーナーとメンバーと一緒にみんなで店を盛り上げようと頑張りました。「ビオス」が閉店するタイミングで「二期倶楽部」の創業者がプロデュースした、那須にある「レストラン ミュー」(現在閉店)の統括シェフの話がきました。1年間だけ那須で働きながら、「KAM」の準備をしました。