「50歳を過ぎたら知見の伝承を」Web黎明期を支えた“フォントおじさん”が長年働いて気づいたこと
「ようやく肩の力を抜くことの大切さがわかって、同時に後進に伝える楽しさもわかるようになりました」 こう語るのは、「フォントおじさん」こと関口浩之氏だ。1960年生まれの関口氏は、日本のインターネット黎明期からWeb業界に携わり、Yahoo! JAPANの立ち上げにも関わった人物である。2011年にWebフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」を立ち上げてからは、フォント業界の発展に寄与しつづけている。そんな関口氏に、これまでのキャリアを伺った。
Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
「Yahoo! JAPAN」を立ち上げた経験が、自分の原点
林: Webに触れたきっかけから教えてください。 関口: 90年代前半からパソコン通信をやっていましたが、「Web」というと1995年にソフトバンク技研(現SBテクノロジー)に転職したことが大きいですね。入社して、Yahoo! JAPANの立ち上げを担当しました。「明日からアメリカに行ってシステムを見てこい」と言われて、行った先が立ち上がったばかりのYahoo!です。創業者のジェリー・ヤンとデビッド・ファイロに会って、システムを見せてもらいましたね。時代が動いた瞬間に立ち会えたというか、放り込まれた感じです。それがWebとの出会いであり、僕にとって原点となる体験でした。 林: 転職する前は、どちらにお勤めだったのですか? 関口: 最初の会社は、当時ワープロで有名だった電子機器メーカーでした。子どもの頃からトランジスタやラジオを組み立てるのが好きで。また英語にも興味があり、大学では英文学を専攻していました。就職活動では、好きな電気工学と英語を使える仕事がしたいと考えていたところ、「ベンチャー企業の電子機器メーカーが海外支社を作る」という記事を週刊誌で見て応募。英語教員に内定していて就職活動はしていなかったのですが、この会社がどうしても気になってしまい、総務部に直接電話して、面接をお願いしたんです。今考えると、熱い少年だったのかな。 林: 入社前から「海外支社に行きたい」と意思表明されていたんですね。 関口: 80年代は、アメリカに対する憧れが強い時代背景だったこともあります。英語は未熟でしたが、アメリカに行って実地で学びたいと思ったんですね。 森田: そこで「ワープロおじさん」になったんですか?