「国会で重大なことを暴く」と宣言した日に殺害された政治家・石井紘基…「動機の解明は困難」という不可解な判決文と見つからない資料の謎
政治の深い闇
石井さんが亡くなって、今年で22年になります。私がX(旧Twitter)を始めた2021年12月以降は、石井さんの命日である10月25日はもちろんのこと、定期的に石井さんについてポストしています。 「事件の真相を知りたい」「政治の闇は深い」「泉さんも気をつけてください」といったリプライも多数つき、私としても「事件を風化させてはいけない」との思いを新たにしています。 石井さんは2002年10月25日の午前10時半頃、国会に向かうため自宅前でハイヤーに乗ろうとしたところ、何者かに刃物で刺されて殺害されました。 その日の夕方、ニュースで事件を知った私は東京に駆けつけ、お通夜とお葬式のお手伝いをさせていただきましたが、翌26日には犯人が警察に出頭しています。 石井さんは事件の前に、奥さんや同僚の政治家、知り合いの記者などに「国会質問で日本がひっくり返るくらい重大なことを暴く」と話していたそうで、事件当日はその資料を国会に提出する予定だったといいます。ですが遺品のカバンから、資料は見つかりませんでした。 容疑者の伊藤白水は、犯行の動機を当時「個人的な金銭トラブル」と供述しましたが、石井さんは国会で数々の不正を追及していたので、「事件には黒幕がいて、口封じのために伊藤に殺害を指示したのではないか?」と囁かれました。
「動機の詳細を解明することは困難」?
事件の裁判では「被告人の動機に関する供述はまったく信用することができない」としながらも「動機の詳細を解明することは困難」との不可解な判決文で、一審では求刑どおりの無期懲役。その後、消えたカバンの資料の行方も、被告の動機も解明されないまま、2005年に最高裁で無期懲役が確定します。 事件後、石井さんが所属していた民主党が真相解明に動くと発表していましたが、結局調査は進められませんでした。 石井さんは秘密主義者でした。他人と情報を共有しませんでした。外出するときも行き先を言わないし、どこにいるかわからない。 特殊法人の不正追及を始めてからは、公共事業がらみの闇のルートを調査していることはわかっていましたが、具体的な話は、私にもしませんでした。 事件までの数年間、石井さんは民主党内で「国会Gメン(政治と行政の不正を監視する民主党有志の会)」を立ち上げ、原口一博さん、河村たかしさん、上田清司さんらと不正を追及していましたが、国会Gメンのメンバーにも情報は知らされていなかったといいます。 石井さんは秘密主義だったからこそ、黒い情報源も石井さんを信用して、機密情報を渡すことができたのかもしれません。 私としてはご遺族のお力になりたかったので、娘さんの石井ターニャさんにお願いして、段ボール箱の資料を調べさせていただきましたが、他人が読んでもわからないようにしていたのか、文字も読みづらく、事件の手がかりとなるような情報は見つけられませんでした。 残念ながら今もって真相は闇の中です。
---------- 泉房穂(いずみ ふさほ) 1963年、兵庫県明石市二見町生まれ。東京大学教育学部卒業後、テレビ局のディレクター、石井紘基氏の秘書を経て弁護士となり、2003年に衆議院議員に。その後、社会福祉士の資格も取り、2011年5月から明石市長を3期12年つとめた。著書に『日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来』(集英社新書)、『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』(ライツ社)、『政治はケンカだ!明石市長の12年』(聞き手=鮫島浩、講談社)他多数。 ----------
泉房穂