京都人の「ぶぶ漬けでもどうどす?」は、今でも本当にあるのか?
本心を明かさない京都人は腹黒いのか
このように本心を明かさないから京都人は腹黒いという人がいますが、実は京都人ではなくても同じようなことを日常生活でしょっちゅう言ってます。例えば人に物をあげるときに「これはつまらないものですが」と言って渡しませんか? 欧米人から見たら、「つまらないものだったら渡すのは失礼じゃないか」と思うでしょう。でも我々はだいたいこういう言い方をしますね。この意味は「これはとてもいいものだと私は思いますのであなたに差し上げたい。でもあなたにとってはつまらないものかもしれないし、気に入るかどうかはわかりませんが」ということだからです。あくまでも自分を主体に考えるのではなく、相手がどう思うかを主体に考える発想です。日本人は自己主張をするよりも共同体の中でのルールを重んじ、常に配慮しながら生活するというDNAが備わっていると思います。それが良いか悪いかの議論は別として、それが本来の日本人の性質なのです。そしてその日本人の特徴がギュッと凝縮されたのが京都人と言ってもいいのではないでしょうか。 京都人の基本は「他者に対する思いやり」と同時に「他人の領分は犯さない」のだろうと思います。京都は昔から公家、武家そして町衆が一体となって文化を築いてきた街です。時の為政者の多くは外からやってきて京を支配し、そしてまた新しい為政者にとって替わられるという歴史を繰り返してきました。他者に対する配慮に加えて、常に旗幟鮮明にしないことで、暮らしを守ってきたことも事実です。したがってほかの地域の人から見るとそれが冷たいとか裏があると感じるのかもしれません。しかしながら、そんな中で自然に醸成されてきた、言わば「おとなの対応」ができる人たちがいることも京都の大きな魅力です。 私は京都人ではありませんが、かつて仕事で京都に4年ほど住んでいました。京都の人たちは本当に親切にしてくれました。ただ、優しさや配慮を強く感じた半面、自分たちの領分はしっかり守るという強さを感じたこともまた事実です。ですから単純に意地悪だとか、腹黒いということでは決してないのです。これが1200年の都の成熟というものなのでしょう。京都はどこまでいっても奥が深い街です。 (経済コラムニスト・大江英樹)