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解体の方向にある極真総本部…ヤケに冷えきった空気。真剣勝負の厳しさを学ばせてもらった場だけに寂しい【山崎照朝コラム】

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中日スポーツ

 先日、護国寺を訪れた。お盆(7月盆)の墓参である。ここには劇画作家の梶原一騎先生と、極真会館の創始者大山倍達館長が眠っている。両先生の命日にもお墓に合掌しに行くから年に3回出向く。  最近は合掌する時間が長くなった。というのも1994年4月、大山館長が亡くなってから極真は分裂を繰り返し、今はいくつ分派があるのか分からない。話すことはいろいろある。  空手家・大山倍達の半生を描いた「空手バカ一代」の連載が梶原一騎の手により始まったのは1971年。来年、50周年を迎える。連載は約7年間続き、多くの空手愛好者の人気を博した。  1960年代後半、学生運動は激しさを増していた。各大学で全共闘が結成され、校舎はバリケード封鎖された。それは週刊漫画雑誌が全盛の時代でもあった。中でも人気だったのが“スポ根”もの。野球の「巨人の星」、ボクシングの「あしたのジョー」、そして「空手バカ一代」は梶原一騎の3大名作とうたわれる。  「空手バカ一代」の登場は、私が大学4年の時で学生運動もやや沈静化していた。このころ、空手は直前で止める「寸止め」が全盛。そこに「直接打撃」で優劣を競う極真が1969年9月に第1回「オープントーナメント全日本空手道選手権」を開催して脚光を浴び、一大ブームを巻き起こした。  時は流れた。豊島区にある鉄筋コンクリート4階建ての極真総本部も老朽化が激しく解体の方向にあると聞いた。気になって護国寺の帰りに池袋の極真会館に立ち寄ってみた。入り口のドアは鎖と鍵で固く閉ざされ、中を見ることは出来なかった。かつては気合と熱気で蒸れていた道場からは人影が消えていた。ビル前に立って感じたのは暗く、ヤケに冷えきった空気。真剣勝負の厳しさを学ばせてもらった場だけに寂しい。  極真会館が落成されたのは1964年6月。私はその会館の募集を見て入門した。道場には真新しい床板の臭いが漂っていた。稽古の後は全員でいつもワックス掛けをさせられた。あれから56年…。  館長室は3階にあった。名前を呼ばれる度にびくびくしてたあのころが走馬灯のようによみがえる。その大山館長が亡くなって26年…。最初は「100人の弟子より一人の強い弟子がいればいい」とわれわれを鼓舞した館長。ブームが来ると「君ね、強い弟子も数だよ。数」と一変した。その館長が肺がんで70歳で他界したのには驚いたものだ。酒もたばこも絶っていたのに。  私は今月31日で73歳になる。何の徳も積んでないのに館長より長く生きている。(格闘技評論家=第1回オープントーナメント全日本空手道選手権王者)

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