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イスラエル新政権による静かなる併合の始まり

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ニューズウィーク日本版

──7月1日、国際的関心もあまり集めず、静かな形で進み始めた......

今年の7月1日は、さまざまな転機となった。明るいニュースから挙げるなら、新型コロナウイルスの影響で閉じられていたEU圏の国境が、日本を含む14か国に対して開かれることになった。感染の再拡大が顕著なヨーロッパへの渡航は、日本側でまだ慎重な姿勢を崩せないため、従前のような移動が解禁される日はまだ先になりそうだ。とはいえ、緊急措置として出された渡航制限の解除は、どこか安堵感を覚えるニュースだ。 【写真特集】セクシー女優から受付嬢まで、トランプの性スキャンダル美女たち 他方で香港に対しては、中国の全国人民代表大会が前日の30日に国家安全維持法を成立させ、施行された。政府に対する抗議運動への参加は犯罪となり、最高で無期懲役の刑を科せられる。これを受けて既に香港の活動家の一部は国外に拠点を移したり、組織を解散するなどの動きが出ている。今後の展開について予断を許さない。 こうした中、国際的関心もあまり集めず、静かな形で進み始めたのが、パレスチナ自治区の併合と、占領の合法化プロセスだ。3度の繰り返し選挙を経てようやく今年5月に成立したイスラエルの新政権は、連立合意として、パレスチナ自治区の一部にイスラエルの主権を適用するための立法手続きを7月1日以降に開始することを掲げていた。具体的にはヨルダン川西岸地区の一部と、ヨルダン渓谷沿いの土地が対象と想定される。イスラエルの占領地を拡大し、国内法的に合法なものとするための次のステップといえる。 ■ 「歴史的な機会」を捉えて こうした併合の開始をネタニヤフ首相は「1948年(のイスラエル建国)以来の歴史的な機会」と呼んでいる。トランプ政権の成立以後、エルサレムを首都と認められ、アメリカ大使館がエルサレムに移転し、イスラエルにとってはまさに「歴史的」な喜ばしい展開が続いてきた。 しかしトランプ政権は新型コロナウイルスへの対応のまずさから国民に多くの犠牲者を出し、続いて起きたジョージ・フロイド氏の暴行殺害事件は、人種差別への抗議のみならず、警察不信と社会不安をあおっている。大統領選挙において、現職のトランプ大統領と民主党候補者のバイデン氏への支持率は各々まだ4~5割で拮抗しているため、結果は見通せない。だが、万が一政権交代が起きた場合、アメリカの全面的な支持を期待しながらイスラエル政府が動けるのは、今年いっぱいということになる。 イスラエルがアメリカ大統領選挙の動向を見据えながら行動に踏み切った例は、これまでにもある。2008年の大統領選挙で民主党のオバマ氏が大統領に選ばれたとき、年末の12月から1月にかけてイスラエル軍はガザ地区に大規模な攻撃をかけた。3週間余りに及んだキャスト・リード作戦は、オバマ大統領の就任式2日前に一方的に停戦が発表された。この戦闘でパレスチナ側には1,100人以上の死者と5千人以上の負傷者が出た。オバマ大統領が就任直後、中東和平への関与に積極性を示し、6月のカイロ大学での演説で中東イスラーム世界に歩み寄りを示したことからすれば、イスラエルにとっては正しい戦略的判断だったということになるだろう。 とはいえネタニヤフ首相が言うように、占領地の併合については、今回が建国以来の転機というわけではない。イスラエルによる占領地拡大は、実際には1967年の第三次中東戦争でエルサレムを含むヨルダン川西岸地区とガザ地区を軍事占領し、1981年にはゴラン高原を併合するなど、段階的に進められてきた。今回は、39年ぶり(ゴラン高原併合以来)の大規模な領土併合ということになる。また1993年のオスロ合意締結後も、和平交渉のかたわらで入植地の建設は着々と進められてきた。イスラエルの平和運動団体ピースナウによると、西岸地区には現在、132か所の入植地(東エルサレムを除く)があり、約42万7千人のユダヤ人が住んでいる。これはイスラエルの総人口の5パーセントに満たないが、西岸地区に住むパレスチナ人約290万人から見れば、大きな脅威となる数字だ。 ヨルダン渓谷に住むユダヤ人は1万人程度とされるが、隣国ヨルダンとの境界地帯を成すため、この土地自体が軍事的要衝となる。この渓谷の併合は、第三次中東戦争後に当時のイスラエル労働相だったイガル・アロンが提唱しており、ある意味では宿願の達成といえる。長らく境界設定の際にはあまり言及されてこなかったが、今年1月のトランプ大統領による「世紀のディール」では分割案として、この渓谷地帯をイスラエル側に含めることが提案されていた。 ■ 予想される併合の影響 今回の併合によって、何が変わるのか。そもそも7月1日現在、イスラエル側はまだワシントンの顔色をうかがっている状態で、その日のうちに何かの決定に踏み切ってはいない。1日当日にはイスラエルでこのための閣議が開かれる予定もなかった。しかし、リクードの高等教育相ゼエブ・エルキンは30日にイスラエル軍ラジオに対して「明日から時計は動き始める」と話しており、機を伺いながら法的な併合を進めるためのプロセスが始動したことは間違いない。 実際に併合が実行に移されるとして、想定されるのは、目に見える動きとしての人の追放や占領というよりはむしろ、イスラエル国内法における制度上の変化だろう。ワシントン近東政策研究所の分析によると、併合が完全に達成されたとしても、直接影響を受けるパレスチナ人は西岸地区住民全体の4.5%と推定されている。約11万人のパレスチナ人が、イスラエルにより新たに併合された土地に居住することになる。しかしイスラエル政府が求めているのは「土地」であり、「人」への管轄を主張しているわけではない。ネタニヤフ首相は、併合地域に残されたパレスチナ人は、ひき続きパレスチナ自治政府に対して選挙権をもち、イスラエル国民としての権利は付与されないと述べている。一方で、彼らを居住地から物理的に追放することは、限定された規模ではあり得ても、大規模な動きは国際世論が許さないだろう。 それでは何が変わるのか。BBCの解説記事では、今後の入植地建設への影響が指摘されている。これまでは西岸地区内で入植地建設のための用地を決定するには、首相と国防相による承認が必要で、そのために数カ月から数年が費やされていた。それが併合後は、イスラエル領内の一地域の問題となるため、入植地の新たな建設が比較的容易となるというのだ。つまり、法改正によって将来的に入植地を増設する予定地を広範囲にわたり確保することで、ヨルダン川西岸地区の一部に対して実効支配を強化していくということだろう。 こうした占領の拡大は、当然ながらパレスチナ側にとって脅威であり、すでに実現可能性が著しく損なわれている紛争の二国家解決案の実現を著しく妨げることになる。オスロ合意後の中東和平交渉は、パレスチナ側にヨルダン川西岸地区とガザ地区における独立国家の樹立を認め、イスラエルとの共存を図るという方向性で進められてきた。日本を含めた国際社会の多くは、この案を支持している。しかし1月のトランプ提案や、今回の併合計画が進められれば、パレスチナ側に国として体を成す地続きの領土は残らない。すでに死に体だった交渉プロセスにとどめを刺すことになり、パレスチナ自治政府は強く反発している。 ■ 強者による合法化への懸念 併合をめぐる動きに対して、反対するパレスチナやアラブ側の反応は統一感と力強さに欠ける。パレスチナ自治政府のアッバース大統領は5月、併合案に抗議して、オスロ合意の遂行と、イスラエル側への協力を停止することを発表した。6月30日にパレスチナ政策調査研究所(PSR)が行った世論調査では、こうした停止決定への支持が7割を上回った。またイスラエルを支持し、「世紀のディール」を発表したアメリカとの政治交渉の再開に反対する声も7割を占める。だが同時に、アッバース大統領自身の辞任を求める声も6割程度と変わらず高く、自治政府が長引く分裂と腐敗によって支持を失っているのは顕著だ。市民レベルでの抗議デモは、エリコやガザ地区などで千人単位の規模のものが起きているが、リーダーシップに欠ける感は否めない。 アラブ諸国では、アラブ連盟のアハメド・アブルゲイト事務局長や、ヨルダンのアブドゥッラー国王、アラブ首長国連邦のオタイバ駐米大使などが6月に抗議の声明を出した。とはいえ、ガザ地区が攻撃されたときに出された声明のような勢いはなく、今回の併合計画に対する反応は全体的に鈍いといえる。具体的に何が起きるかまだ分からない段階では、反論もしにくいのかもしれない。国連は6月24日にグテーレス事務総長が安保理のオンライン会合で、併合を批判し撤回を求め、ベルギー、英国、エストニア、フランス、ドイツ、アイルランド、そしてノルウェーの欧州7か国が、併合は中東和平協議再開の可能性を大きく損なうとする共同声明を発表した。日本でも新宿、大阪、札幌で抗議集会が開催された。国際社会の声はネタニヤフ首相に届いているだろうか。 今回のイスラエル政府による併合は、大きくとらえて占領を合法化するものといえる。合法化と言うと、何か自体が正常化され、正しいことが行われるかのように響くが、実際にはそうではない。建国直後にイスラエルが制定した法律で、難民となったパレスチナ人の所有地は「不在者財産」として没収され、イスラエルの国有地として統合されたことを思い返すべきだろう。強者による法の制定と執行が、弱者の権利を侵害し、剥奪を固定化する危険は大きい。併合の合法化が、今後のさらなる占領地の拡大の足掛かりとならないよう、注視を続ける必要がある。

錦田愛子

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