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灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(96)

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 あきは今まで感じたことのないような不安でいっぱいだった。番組を降板し、結党7年になる自由民主党から参議院選の追加公認者として正式発表された。  選挙戦を前にして、これからどんな困難がふりかかってくるかと思うだけで身体がぎゅっと緊張する。  頭に浮かぶのはテレビで見た国会中継の男たちが大声で喧々囂々と議論する様だ。この中に自分も入っていかなければならないと思うと、この期に及んで自分は本当に政治などできるのかと恐ろしくなる。  そういえば、テレビ出演も初めの何か月かは緊張の連続だった。自分の顔や姿かたちの映りばかりが気になり、本番中というのに共演者がしゃべる言葉が耳に入らず、前の回答者と同じ発言をしてしまったり、とんちんかんな質問を司会者にしてしまう。しかしそれは司会の高橋恵三や他の回答者が、上手にかばってくれていたし上手に答えを引き出してくれていた。  国会に行ったらどうなのであろう。矢のようにふりかかる野次のなかで自分の主張を理路整然と述べなくてはならないのだ。国会議員の大半は男の議員であるが、その男たちと議論していかなければならないと思うと暗澹たる思いだ。  自分は明治生まれの女だ。男尊女卑の精神でしつけられ、男たちにもそのように接してきたつもりだ。女だけでは生きられない社会の成り立ちで、自分も男の恩恵を受けてずっと生きてきたのだ。出馬するという事はその男たちともやりあっていかなければならないとまで思うのは、考えすぎなのであろうか。  さらにあきは思う。これまでの女性活動家という人たちの考えというのははたして自分から生まれた考えなのであろうか。そこには男の影がちらついてしまう。男に尽くすという明治大正生まれの日本女性たちの気質が、女性活動家としての原動力であったら、なにか悲しいものを感じてしまう。  また、こんな事もぼんやりと浮かぶ。  自分の周りには仕事柄美しく居ようと努力する女が多いが、もっとほかを見わたしてみるとまったく身なりに気にしない女もいる。聞くと、それは夫の好みに合わせているというから情けない。華美なものを嫌う夫といっても、連れ歩く女は着飾った女だから始末に負えない。  あれこれと考えても仕方ない。もう公認を受けたからには覚悟を決めなくてはならないのである。  あき出馬の一報に友人の評論家・大宅壮一も厳しいコメントを出す。 「国会議員をテレビのタレントと勘違いしてるんじゃないか。そりゃ、ロクでもない陣笠代議士などに比べれば、物事の判断は間違わないでしょう。でも、人には向き不向きがあるんでね。確かにあきさんが戦前、義江を追いかけてイタリアまで行って勇気を見せたが、そういった男女関係の勇気と、政治の現実処理の才能とはおのずから違ったものだと思うんですがね」  あきは勇気を出して「秋ずし」出店で世話になり不義理をしている川口松太郎のところへ挨拶に行ってみた。 「参議院全国区に出たいと思います」  呆れてものも言えなくなった川口だが、権利金の500万円を借りた藤山に勧められたんだなと、すかさず問うてみた。 「そうなのよ」  あっさりと答えるあきはこう続ける。 「それで寿司屋の件ではお世話になってそのままなので川口さんにご挨拶に参りましたわ」 「君と国会議員は提灯に釣鐘どころか、提灯に富士の山ほど釣り合いが悪い! が、愛さんからの借金は只になるのか?」 「そうね」 「それが出馬の動機か。何をかいわんだ!」  あきれた川口にそういわれてしまったあきは萎れて帰途についた。友人として川口もあきの純真ともいえる性格をよく知っているつもりだ。政界の渦に翻弄されなければいいとそっと願う。  あきと一緒に自民党の追加公認候補として発表された女性は、「もめん随筆」などで知られる随筆家の「森田たま」。  森田はこの2年前に自民党の党大会などに呼ばれ講演をするという党との関係であったが、一般の読者たちはあの森田たまが権力闘争渦巻く自民党で出馬するなどということが意外だった。  森田を推すのは池田勇人首相の懐刀、大蔵省時代の後輩、前尾繁三郎自民党幹事長。 「私が幹事長になった時にいったのは、党を近代化して、青年、婦人に希望を与え、愛される党にしなければいけないということだ。そういう意味から今度の参議院選で立候補する方はいないかと捜しておったんですが、三木武夫さんから森田たまさんはどうかと。森田さんは党大会でも挨拶されたことがあり、皆知っているしその時の話にも感銘を受けた。とにかく、たとえどんな立派な人でも、これから名前を覚えてもらわなければならんという人では困るしね。知性ある婦人がでるということは国民に公益を与えることだよ」  と胸を張る。  あきのもとに取材の電話が何本もかかってくる。 「お辞めになったテレビから、いよいよ出馬に向けての準備ですね」 「準備なんてまだ何もしてませんのよ。ギリギリ10日の5時半まで断るつもりでしたからね」 「それなのにどうして出馬を決心されたのですか?」 「それはもういとこの人間性にほだされたんですわ。私が昔、藤原(義江)と結婚する際に実家の中上川家から破門されたんです。でも唯一かばってくれたのが、藤山雷太さん(藤山愛一郎の父)だったんですのよ。恩義があります」 「出馬の抱負をお話しいただけますか?」 「まだ何にもありゃしませんわ」 「……あきさんが政治にのりだすというのは、マイナスだと言われています」 「そうよ。よせばいいのにって言われます。でも人生には計算していたらやれないこともあるでしょう。そういうことよ」 「自民党では婦人で森田たまさんが初出馬します。あなたと票が割れてしまう可能性があるのでは?」 「そんなのわかりませんわ。私は自分が出る事だけで精一杯なんです」  こういった取材ばかりが続くので、あきは藤山に電話でこぼしてみた。 「困ったわ。私、森田たまさんにお会いしたこともないのよ。それで女の戦いなんて……」 「池田派の前尾君が森田たまさんを出してきたからな。やはり婦人の時代なんだよ。これからの政治は国民生活に直結しているから、別に国際問題を論じるとか高度の経済問題を論じるだけが政治ではないからね」  マスコミは女の闘いであることと同時に、池田派と藤山派の闘いだと位置づけて、報道していくこととなる。  あきは少しばかりの焦りを感じてきた。記者からの話によると森田はデンマークで見た「団地を活用した老人ホーム」などの提言をし、すでに公約を話すように具体的なものを持っているそうだ。  自分はまだ政治活動すら始まっていないので遅れを取った気分になるが、ジャーナリズムの思うつぼにならないように平静を装う。  あきとたまの闘いに話題が持っていかれそうな中、もっとも焦りを感じていたのは、自民党の山下春江だった。  教師から新聞記者となり、戦後初の婦人代議士の1人となり、爾来当選を5回してきたが、参議院に鞍替えをすべくだいぶ前から全国区の出馬が決まっていた。 「打撃です。全く打撃です。おふたりの公認のことは知りませんでしたが、それを聞いて完全に苦境に立たされました。テレビタレントと闘わなければならないというのはやり切れませんね。こうなったら全国の自民党婦人部が唯一の頼りです。15年間、自民党の社会保障を一手に引き受けてやってきた自負があります。やはり佐藤派ですから、風当たりが強いのでしょうか」  山下のコメントにマスコミは、今度は三つ巴の女の闘いと、「池田派」「藤山派」に加え、佐藤栄作の「佐藤派」を加えた派閥同士の闘いの構図を打ち立てる。 「こりゃ、面白くなるね」  永田町でもこうした声が上がる。  政治ってめんどくさい世界だわ。あきはすでにうんざりと嫌気がさしていた。  そんなあきの胸の内など誰も知る由もなく、選挙に向けての下準備が藤山の指示で着々と進められている。自分以外の選挙事務所を立ち上げるというのは大変労力が必要なものだが、会社をいくつも立ち上げたり、合併させたり、買収したりを日常的におこなっている藤山にとって、全国区といえども政治団体や選挙の組織を作り上げることはそう難しいことではない。慣れた複数の人間により自治体に提出しなくてはならない書類なども迅速に揃えられ提出がなされている。  公認発表からわずか、あきは娘時代を過ごした場所へと向かう。ホテルニュージャパン内の藤山事務所だ。  藤山派の本拠地は100坪以上を誇り、私設大臣室や書庫としている部屋、藤山派の会合も行う広い部屋もあり、一面のガラス窓に差し込む光は洒落た障子のおおいで、より明るく柔らかい陽射しの部屋になっている。 「あきちゃん、これから一緒に戦ってくれる若いメンバーだ」  藤山が主宰する「藤山政治大学院」の受講生から抜粋された平均年齢21歳の若手運動員にあきも驚いたが、選挙まえの政治活動に関してもさまざまな手続きがいるなどという事はつゆ知らず、「手とり足とり教えるよ」と言ってくれた藤山のお神輿にのっかろうとするだけのあきなのである。  4月となり手始めにあきは藤山に連れられ、小坂善太郎外務大臣夫人を伴い京都府知事選挙の陣中見舞いに行った。 「いいわぁ、お花見だわ。京都の桜は見ごろね」 「あきちゃん、今日は陣中見舞いなんだから、花見どころじゃないよ」  と笑顔でたしなめる藤山に、小坂夫人も「親戚っていいですわね」と笑う。  多くの男たちを敵に回していかなければならないと思うあきにとって、藤山愛一郎という存在はあきの心の支えにもなっていく。それは兄弟愛や家族愛にも似たものなのであるが、「すべては愛さんのために動こう」とあきに強い決心をさせるのである。  若手運動員とあきはまずはお互いを知るために、軽井沢で合宿を始めた。これも金がかかることであるが、金を出す藤山が悠然とお膳立てしたことなので実行する。講師をよんだり皆で討論しながら「民主主義とは」「選挙はどうあるべきか」などを学んだり議論していく。  あきは若手に囲まれ、気持ちが楽になった。一緒に成長していけばいいのだと。  政治に関してはあきよりも詳しい彼らだが、あきからすれば生活態度のイロハ、一般常識からなっていない頭でっかちだ。あきは箸の上げ下ろしからあいさつの仕方までを彼らに徹底的に教えた。 「男の子はもっと胸を張ってあるきなさい。いつも二本先の電柱の上を見ながら歩くといいわ、背筋がしゃんとするわ」  あきが若手に教育する合宿にもなった。それも政治家以前に人であれという藤山の考えに基づいた狙いだったかもしれない。   銀座、数寄屋橋交差点近くにあきの選挙事務所となる場所を構えた。  7月3日の投票日を前にして、6月7日。  ついにあきの遊説が始まる。  口から心臓が飛び出るのではないかとドキドキしてきた。  女が選挙に出ないわけが瞬時に分かった。街で大きな声を出すという事は、その夫が絶対に反対することであろう。街で声をあげられるのは自分のような独り身の女か、夫の信条を代弁する活動家の女しかいない。  合宿であきと意思の疎通が深くなった若手運動員たちは、あきの初遊説の演説を前に意気揚々としている。 「君の名は?」 「藤原あき!」  などと数寄屋橋で気勢を上げるのをよそに、あきは足が震えていた。 「ちょっと、赤尾敏が辻説法しているところじゃないのよ。私は無理だわ。お願いだから人のいない野っ原でやってちょうだいよ。照れくさいわ。恥ずかしいわ」  街ゆく人々が大勢集まってきた。(つづく)

佐野美和

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