フィリピン新大統領は国を追われたマルコスの息子
新政権の行方握る副大統領はドゥテルテ大統領の娘
フィリピンで6月30日、フェルディナンド・マルコス氏が新大統領に就任する。通称「ボンボン」。 1986年にピープルパワー革命で失脚した独裁者フェルディナンド・マルコス・シニア元大統領の長男だ。5月の大統領選での圧勝を「マルコス王朝の復活」「民主主義の退潮」と警戒する声もある。しかし、革命から36年を経たフィリピンは独裁を許さない土壌を育み、民主主義の下で経済成長を遂げた。 新大統領はインターネットで民意を探り、安全運転でそろりと始動する。喫緊の課題はインフレ退治。経済運営に失敗すれば国民からしっぺ返しを喰らうことを、誰よりも知っているのは父親とともに若くして母国を追われたボンボン・マルコス氏本人だろう。 「最優先事項は経済だ」。5月フェイスブック上にライブ配信した「記者会見」でマルコス氏は次期大統領としての抱負を滔々と語った。食料やエネルギー価格高騰への対応を重視する姿勢を強調。1970年代の石油ショックの際に大統領だった父親の「功績」にもさらりと触れた。 外交では海洋権益で対立する中国を意識して「1㎟たりも領海を譲ることはない」と大見えを切りながら、「中国は良き隣人。継続的に対話する」とリップサービスも怠らない。米国との同盟は「友好的で相互に利益のある関係だ」としながら、前政権で人権問題を指弾された強権的な麻薬対策は継承する方針だ。 結局のところ何をやろうとしているのか、会見でははっきりしなかった。地元の有力メディアから選ばれた記者は父親の責任問題など負の側面を追及することはなく、印象操作の片棒を担いだ感さえある。 それでも英語とタガログ語の交じるインタビュー動画は53万の「いいね」を稼いだ。「歴史修正主義」「フェイクニュース」と非難されながら、交流サイト(SNS)を駆使して頂点に上り詰めたマルコス氏。フィリピン政治史上初の「インフルエンサー大統領」の誕生だ。 独走の原動力はSNSだったという分析もあるが、最大の勝因は国民的人気を博す現職のロドリゴ・ドゥテルテ大統領との「近さ」。ロドリゴ氏の父ビセンテ・ドゥテルテ氏は父マルコス政権の閣僚経験者だった。 大統領となった息子ドゥテルテ氏は「マルコス(父)は独裁者にさえならなければ(フィリピン史上)最良の大統領だった」と評し、国論を二分した父マルコス氏の遺体の国立英雄墓地への埋葬を「国民和解」と理由づけて強行した。 5月の選挙で大統領候補の筆頭とみられていた現職大統領の長女サラ・ドゥテルテ氏が、大統領選と別に同日実施する副大統領選に回り、マルコス氏のパートナーになったことが勝利を決定づけた。 大統領選でマルコス氏に次ぐ二番手候補だった現職副大統領のレニー・ロブレド氏はドゥテルテ氏との不仲が最後まで響き、得票数でダブルスコアの大差をつけられた。 人気という点ではSNS上を含めてボクシングの元世界チャンピオン、マニー・パッキャオ氏の方がマルコス氏より上だったかもしれない。ところがドゥテルテ氏を批判するかのような発言をした途端、同氏から「もっと勉強が必要だ」とバッサリ切られる。 国民をタイトルマッチの中継で熱狂させたテレビ時代の名声。ネットの普及で通用しなくなった現実も見逃せない。結果は惨敗だった。 フィリピン国民の平均年齢は26歳と若く、「独裁を知らない世代」が有権者の多数を占めるようになった。IT(情報技術)の活用に長けたマルコス氏が若年層に食い込んだのは事実だ。だが、圧勝をもたらした背景には高齢者からの支持もあった。 1965年の大統領選で初当選した当時の父親のニックネームは「アジアのケネディ」。清新で有能と嘱望された指導者は、期待に違わず経済の高成長を実現した。 20年超の長期政権で露呈した不正や腐敗の数々で独裁者というレッテルを貼られたが、インフラ開発やコメ自給などを推し進めた「強いリーダー」にノスタルジーをいだくも国民も少なくない。「即断即決」の政治スタイルはドゥテルテ氏と相通じるものだ。 マルコス氏が父親や前任のようにカリスマとなり、果てはフィリピンを独裁国家へ逆行させることもあるのか。今のところ同氏の政策はあいまいで、「即断即決の強いリーダー」とは言い難い。 そもそもフィリピンは大統領の任期を1期6年と定めている。マルコス氏の父親が不正選挙で多選を重ねた反省から、二度と独裁を許さないよう憲法に明記した。改憲が選択肢となるが、ドゥテルテ氏も続投論が浮上しながら、手をつけなかった。「再選禁止」はフィリピン民主主義の生命線だ。 2001年に「ピープルパワー2」と呼ばれる政権転覆劇があった。庶民の味方を標榜して大統領になったジョセフ・エストラダ氏に違法献金疑惑が浮上。延命をはかったが、「ピープルパワー1」の発端になった大規模集会と同じくマニラのエドサ通りに集まった群衆の抗議に、任期途中で退場を余儀なくされた。 人々を反エストラダに駆り立てた背景には国軍や財界の後押しがあったという。大衆もエリートも不適格とみなせば指導者を権力の座から引きずり下ろすため結集する。フィリピンでは政治をひっくり返す大衆蜂起の歴史が繰り返されてきた。 1980年代、20代のマルコス氏は州知事などを歴任しながら革命で父親とともにハワイへ逃れた。国民が変心したときの爆発力を身をもって知っている。 マルコス氏は政権づくりで冒険しない。例えば経済閣僚。財務相には現職のフィリピン中央銀行総裁ベンジャミン・ジョクノ氏を起用する。歴代政権で経済チームの要職を占めた74歳のベテランだ。5月には中銀総裁として3年半ぶりの利上げを決断、6月も連続して上げた。 インフラ開発と財政再建の両立を託される。後任の中銀総裁はフェリペ・メダラ氏。中銀の政策決定委員のメンバーで、引き締め継続を示唆している。貿易産業相のアルフレド・パスクアル氏は元フィリピン大学学長。いずれも縁故主義と無縁な手練れの経済政策通という布陣だ。 「アジアの病人」と揶揄されたフィリピン経済は、外資誘致に成功したベニグノ・アキノ3世政権下(2010~16年)で巻き返した。年間の可処分所得が5000ドル以上・3万5000ドル未満という「中間層」の「一歩手前」組が厚みを増している。 22年1~3月期の経済成長率は8.3%と東南アジア諸国連合(ASEAN)主要国で突出して高い。新型コロナウイルス対策を感染一服で緩めた結果、個人消費が膨らんだ。一方、5月のインフレ率は5.4%と中銀が想定する上限を超えた。とりわけロシアのウクライナ侵攻で世界的に高騰する食料価格に警戒感が強い。 中流化が進行する一方で、貧困層も根強く残り、国外で働く出稼ぎ家族からの送金に依存する。貧富の差が増幅する社会で、主食のコメなどの値上がりは庶民感情に怒りの火を点けかねない。マルコス氏は自ら農相を兼務し、食料価格安定のため陣頭指揮をとる。 外交では米中トップから秋波を送られる。米国のジョー・バイデン大統領は当選が決まるとすぐに電話で祝意を伝え、「同盟関係の強化を継続する」と表明。中国の習近平国家主席は電話会談で「地域の平和発展に良好な態勢を維持していきたい」と伝えた。 米国とは人権、中国とは領土で火種を抱えるが、両国にとって戦略的な要衝に位置するフィリピンは自陣に取り込みたい相手だ。マルコス氏は米中どっちつかずの態度をみせる。あいまいさが大国の思惑を見透かしたように映る。当面は戦略的に有効に働く可能性がある。 波乱要因は副大統領になったサラ氏だ。就任式は大統領と同時に同じ場所で実施するのが慣例だが、先行して19日に地元ダバオで単独の「就任式典」を挙行した。マルコス氏も参加したが、異例の別開催は正副大統領の力関係に憶測を招いた。 就任演説でサラ氏は「(自らに票を投じた)3220万人の声は大きく、明白だ」と指摘。3160万票を得たマルコス氏との差を強調したのではないかという見方もある。教育相を兼務するサラ氏は「麻薬は子供たちに人生の破滅という未来をもたらす」と警告し、父親譲りの麻薬対策を学校でも実践する考えを示唆した。 新大統領はキングメーカーの娘の顔色をうかがいながら独自色を打ち出せるか。勝利の立役者だった副大統領が獅子身中の虫になりかねない。
春柳 弘 ( 国際ジャーナリスト )