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人権弁護士から歴代最長のソウル市長まで…パク・ウォンスンとは誰か

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ハンギョレ新聞

社会的弱者を代弁した人権弁護士 参与連帯設立を主導…市民運動の大父 2011年から3選…在任歴代最長 「土建」より市民生活の変化に政策の重点

 ソウル市のパク・ウォンスン市長(64)は韓国の市民運動の生き証人だった。1980年代に人権弁護士として出発し、参与連帯、美しい財団、希望製作所などを設立した。参与連帯の落薦・落選運動や小口株主運動は、革新陣営に新鮮な衝撃を与えたパク・ウォンスン印の市民運動の成果だった。当時の社会運動勢力は、資本主義打倒のような巨大言説に埋没していた。社会的弱者の生活が実質的に改善されることを願った彼は、過去20年あまり「革新家」または自ら語った「ソーシャルデザイナー」の一つの象徴だった。2011年には劇的な一本化を通じて市民運動家から政治家へと変身した。史上初の3選ソウル市長となり、与党の主要大統領候補としての地位を固めてもいた「人間パク・ウォンスン」の人生を振り返った。 弱者を弁護した人権弁護士  1956年、慶尚南道昌寧(チャンニョン)で生まれたパク市長は、ソウルの京畿高校卒業後、ソウル大学法学部1年生だった1975年に、維新反対デモに加わったという理由で投獄され、大学から除籍された。その後、檀国大学史学科を卒業し、1980年に第22回司法試験に合格して1982年に検事に任用されたが、わずか1年で辞し、当時の代表的な人権弁護士だったチョ・ヨンネ弁護士とともに、本格的な弱者弁護の道を歩んだ。  パク市長は、独裁時代のクォン・インスクさん性拷問事件、『マル』誌報道指針事件、釜山(プサン)米国文化院占拠事件、ソウル大学シン教授セクハラ事件など、重大で敏感な事件の弁論を積極的に担った。特に、ソウル大学シン教授事件は、韓国においてセクハラで初の法的攻防が行われたという歴史的意味を持つ。パク市長は1998年、ソウル高裁で「加害者のシン某教授は被害者の助手に500万ウォン(今日のレートで約44万円)を支払え」との判決を引き出し、女性の人権を向上させたという評価を受けた。パク市長は1986年に設立された歴史問題研究所(歴問研)の初代理事長を務めてもいる。この時、鍾路区斎洞(チョンノグ・チェドン)にあった自宅や蔵書などを歴問研にすべて寄贈したのは有名なエピソードだ。 参与連帯などの市民運動の生き証人  その後、パク市長は市民社会運動に本格的に飛び込み、1994年の参与連帯設立を主導した。1995年から2002年まで参与連帯の事務処長を務め、司法改革運動や小口株主運動などを率いた。特に2000年の第16代総選挙を前に、総選挙市民連帯常任共同執行委員長を務め、不正腐敗の容疑が持たれている政治家に対する落薦・落選運動を展開し、政界と有権者運動に新たな風を吹き込んだ。  参与連帯が韓国社会にある程度根を下ろした後の2000年、パク市長は「美しい財団」と「美しい店」を作り、市民の寄付と参加を市民運動の領域へと拡大し、2006年には希望製作所を設立して常任理事として活動した。パク市長の市民運動は、自身と市民の新しいアイデアを現実化する過程の連続だった。 直前の候補一本化で市長に当選  2011年10月、パク市長が政界に飛び込んで市長に当選した過程は感動的だった。当時のソウル市では、オ・セフン市長が無償給食に反対し、住民投票後に辞任。市長職が空席になると、当時ソウル大学融合科学技術大学院長だったアン・チョルス氏と共に、野党のソウル市長候補として急浮上した。序盤、支持率が5%に過ぎなかったパク市長は、アン氏の劇的な譲歩を引き出した。その後、野党候補との事前選挙でパク・ヨンソン民主党候補を破り、本選で53.4%の得票を得てハンナラ党のナ・ギョンウォン候補に勝利し、与野二大政党体制を超えた波乱を巻き起こした。市民運動家出身の市長の誕生だった。  2014年6月4日の地方選挙では、セヌリ党のチョン・モンジュン候補の激しい挑戦を抑え、再選に成功した。自由韓国党のキム・ムンス候補と正しい未来党のアン・チョルス候補の挑戦を受けた2018年6・4地方選挙では、52.79%の得票を得て同2候補を引き離して3選を果たし、過去最多当選のソウル市長となった。  パク市長は前任の李明博(イ・ミョンバク)、オ・セフン両市長と違い、土建中心の成果ではなく市民生活を変える市政運営に集中して差別化を図った。今年5月、パク市長はハンギョレとのインタビューで「壊してから新しいものを使う再開発・建て替えではなく、直して使う都市再生事業がある」とし「都市再生は都心の空洞化、施設の老朽化、商圏の低迷といった問題を解決しつつも、住民、歴史、生態はもちろん地域共同体の価値も復元し得る」と述べた。 MERSで…大統領候補1位  2015年のMERS事態の際には、当時の朴槿恵(パク・クネ)政府とは違い、透明な情報公開に積極的に取り組み、市民たちから好評を得た。当時の世論調査においてパク市長は次期大統領候補1位となった。  パク市長は、最後のソウル市長の任期の折り返し地点を過ぎた6日、「民選7期2周年」記者懇談会を開き、意中を明かしている。パク市長は「これまで都市の端に追いやられてきた多くの市民の暮らしと夢を回復させる時間だった」と述べた。最後に自ら発表したソウル市の政策は「グリーンニューディール」だった。パク市長は8日、建物、輸送、廃棄物分野の温室効果ガスを減らし、2050年までにソウルのすべての車両を環境にやさしい電気自動車と水素自動車に替え、ソウルを2050年までに「炭素排出ゼロ」都市にすると強調した。彼のソウル市長の任期は2022年6月30日までだったが、満了700日あまりを残し、3180日で中断することとなった。 栄光と傷を残したまま…  「ディテールで強い」という評価のとおり、彼は市政の細かい部分まで気を配ることでも有名だった。彼の市長就任後、市役所の内外では、市長の熱意のせいで公務員が激務に苦しんでいるという言葉が冗談まじりの真実として広まったりもした。無償給食、都市再生、非正規職の正規職化など、これまでにパク市長が打ち出してきた政策は、政府が重点推進事業として受け継ぐなど、革新性が抜きんでていると認められている。  市庁を市民庁に変えるなど、気さくで脱権威的なリーダーシップで、ひときわ「コミュニケーション」と「協治」を重視した彼は、ツイッターなどのSNSで200万人のフォロワーを持つ「パワー・セレブ」として、市民に身近な市長でもあった。市長になった後、ある無縁仏の遺体安置所に夜遅く弔問に訪れ、「この世を離れる道がさびしそうだったので立ち寄った」と述べたパク市長は、自身が築いた栄光と傷を残したまま、ひとりこの世を去った。 ソン・ギョンファ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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