<紡ぐ思い・センバツ2021北海>/上 創部120年、誇り胸に コロナ越え、初Vへ一丸 /北海道
新雪にまみれ、長靴をはいた選手たちが天に拳をつき上げ喜びを分かち合った。札幌市豊平区の北海グラウンドに29日、一足早く届いた春の便り。実に10年ぶりのセンバツ出場だ。「やっとスタートラインに立つことができた」。平川敦監督(49)はこう語り、安堵(あんど)の表情を浮かべた。その言葉には、伝統校を率いる重圧がにじむ。 1901(明治34)年創部。夏の甲子園は20(大正9)年に北海道勢として初めて出場を果たし、全国最多38回の出場を誇る。センバツには38(昭和13)年に初出場し、今回13回目となる。 当時、北海中として初出場したセンバツ(第15回選抜中等学校野球大会)では初戦、兵庫県の明石中(現・明石高)に3対8で敗れた。東京日日新聞(現・毎日新聞)は「北海恵まれず」の見出しで健闘をたたえ、明石の「健棒(けんぼう)」(打撃力)にやられたと報じた。しかし、その後も甲子園出場を重ね、63年のセンバツで準優勝の快挙を成し遂げた。 平川氏は98年、監督に就任。2011年に春夏連続で甲子園出場に導いた。さらに、16年の夏の甲子園で準優勝に輝き、17年には夏の甲子園3年連続出場を果たした。 ただ、この実績がかえってセンバツへの出場を遠ざけた面もある。夏の大会で勝ち進めばその分、秋の新チームの始動が遅れるためだ。センバツ出場につながる秋季大会で満足のいく結果を残せない年が続いていた。 平川監督は言う。「選手は経験を積み、段階を踏んで成長していく。夏の大会で結果を出すチーム作りを進めると、経験の少ない新チームで秋を勝ち上がる難しさがある」 しかし、今年のチームはこの数年とは事情が異なる。プロ注目のエース左腕・木村大成投手(2年)は1年春から公式戦に登板し、経験も豊富だ。平川監督は、昨秋の全道大会優勝後にこう語っていた。「木村をもう一つ二つ、上のレベルに引き上げたい」。全道制覇に貢献した大黒柱をなおも鼓舞する言葉には、大きな期待が見て取れる。 昨年11月、校内で新型コロナウイルス感染者が確認され、部活動は約1カ月間中止となった。その間、欠かさずランニングを続けた木村投手。「プラスに捉え、向上心を持って取り組むしかなかった」 新型コロナの困難を乗り越え成長を遂げるその目は、晴れの舞台を見据える。「創部120年の節目にセンバツに出場できることを誇りに思う。北海の名を全国にとどろかせたい」。力強い言葉に、悲願の初優勝に期待が膨らむ。 ◇ 第93回選抜高校野球大会出場を決めた北海。思いを紡いできた伝統校の今を紹介する。