「日本の政治家」が「中国共産党」に圧倒的に負けているポイントがあった…その「深刻な現状」
中国共産党が「国の成長」に必死になるワケ
超法規的なこともやりながら、必要なものを法制化し、単なる掛け声ではなく、達成の見込みがありそうなものを国家目標化し、その後「達成した」と宣言する中国の手法。時に批判的な向きからは「習近平の横暴」と称される政権のことの運び方は、実際には様々なことに手を出し、やってみて、ダメなら撤退、いけそうなら続けるといったトライアルアンドエラー的な発想も垣間見えます。 中国共産党政権の正統性は、「国民を豊かにする」「国家を繁栄させる」ことで保たれています。国の成長が止まる、あるいは国際社会での位置づけが低下するとなれば、国民は「民主選挙を導入しろ、国を成長させられない人物には政権を任せられない、国民に選ばせろ、俺たちにやらせろ」と言い出しかねません。 中共にとって、こうした事態は絶対に避けなければなりません。それゆえに、中共は「国の成長」に必死にならざるを得ないのです。
危機感のない日本の政治
一方、日本はどうでしょうか。バブル崩壊後の不況は、一時的な景気浮揚の時期もなくはなかったものの、この30年間、国民の平均所得は上がっていません。他国が順調な経済成長、平均所得の向上を続けている中、日本は低迷し続けています。 しかし政治の側には「国民を豊かにしなければ政権の正統性が問われる」「議席を追われる」「政権交代が起こる」といった危機感がありません。 2009年に一度、政権交代があり、その時の民主党には、失敗はしたものの勢いや「政治を変えよう」という気概は感じられました。またその後2012年に自民党が再び政権に復帰しましたが、この頃の自民党にはほんの少し、光るものがありました。 しかし頻繁な政権交代、仲間や自分の議席が失われるという危機感、中国のように「石もて追われる」ことのない状況下では、「失敗すれば路頭に迷う」ほどの、生存本能を刺激されるような組織的危機感は醸成され得ません。その点では、与党の責任はもちろんですが、与党に危機感を負わせられない野党にも責任があるでしょう。