「スリー・ビルボード」のM・マクドナー衝撃の戯曲『ピローマン』が東京の舞台に!
イギリス演劇とアイルランド文学のミックスによる苛烈さ
食肉工場で働きながら、作家として生きる青年カトゥリアン(成河)が、理由もわからずに警察に連行され、この殺風景な空間で尋問を受けはじめる。カトゥリアンは自分が無害な一市民であり、事件にかかわるような人間ではないと弁解し、この逮捕が不当なものだと主張するが、警察側の2人、トゥポルスキ(斉藤直樹)とアリエル(松田慎也)は容疑の姿勢をまったく解こうとしない。カトゥリアンの弁解をよそに、ショッキングな新事実が次々にあらわとなっていき、平和だった現実はガラガラと音を立てて崩壊していく。 『ピローマン』が果敢にも取り扱うのは、毒親による子どもへの虐待、そしてシリアルキラーによる児童殺人であり、こうしたテーマは昔のホラー映画ではごく普通に扱われてきた題材だが、今日においては児童福祉の観点から充分な注意と配慮を要する題材である。マクドナーはそんなリスキーな題材を臆することなく選び、さらにそこにブラックなユーモアさえもまぶしていく。私たち観客はハードな物語展開に震撼しながらも、時おり差し込まれる滑稽なセリフとふるまいに、場内からクククと笑いが漏れるが、その直後に「いま自分は笑ってしまったが、これは不適切な反応だったのではないか」という心配で客席の血の気が引いていく。誰もが非人道的な観客であるとは思われたくはないからである。 思い返せば、イギリス演劇はシェイクスピアの時代から血なまぐさい残酷演劇でもあったのだから、マクドナーの芝居はまさにそうした呵責なきイギリス演劇の伝統の末端にあるのかもしれない。また、アイルランドの血が流れる彼のペンを握る手の平は、オスカー・ワイルドの退廃が、バーナード・ショーの革新性が、ジェイムズ・ジョイスの韜晦が、サミュエル・ベケットの不条理が、そして何よりブラム・ストーカー(「吸血鬼ドラキュラ」作者)の怪奇幻想が、とめどなく脈打っているのだろう。
暴力の連鎖、悲劇の応酬をテニスの試合のように目撃
イギリス演劇とアイルランド文学の折衷、そして作者の映画好きがミックスして創造された劇構造。今回公演のセンターステージ(小倉奈穂の美術による)は前述のとおり、テニスコートのように客席に囲まれ、公開処刑の会場となる。警察権力による取調べも拷問も、カトゥリアンが暗誦してみせる残酷的な物語の再現も、過去に起きた殺人も、児童への虐待も、すべてのことがこのセンターコートで数珠つながりに起こっていく。取調室の片隅の、ほんの数センチの段差で下がっただけの空間で虐待が再現され、薄いカーテンの陰からは少年の悲鳴と金属音が聞こえてくる。そんな生々しい光景を私たち観客はシームレスに受け取らなければならない。 小川絵梨子の今回の意図はそうしたシームレス性にあったのではないか。ロンドン初演を見た長塚圭史の証言によれば、ロンドンでは昇降式の美術セットが採用されていたそうだ。「せりが上がるとスーパーリアルな子ども部屋が現れる。取調室とカトゥリアンの物語世界が往還するようなつくりでした。」(当公演の公式パンフレットより) 今回の小川演出は、ロンドン公演における「往還」とは完全に異なり、シームレスに現在と過去が、取調室と事件現場が、陳述と暴力が、地続きのものとして、すぐ私たちの隣で発生する状況を創造している。ロシアとウクライナの果てしない戦闘が、そしてイスラエルによるパレスチナへの非道な虐殺行為が、決して私たちの日々の生活と無縁ではない地続きのできごとであることとパラレルであるがごとく、すべてのまがまがしい現実/記憶/空想/物語/朗読がこのセンターコートで絵巻としてつながっている。だから、このおそるべき『ピローマン』という演劇作品を見ることは、そこで起こる事件の現場に立ち会うことに等しいのである。 取調室での警察権力とカトゥリアンの応酬を通して、またはカトゥリアンとその兄ミハエル(木村了)とのやり取りを経て、最終的に残るのは物語である。カトゥリアンが少年時代と青春時代のすべてを賭して書いてきた分厚い原稿の束を、彼はすべてを投げ打ってでも残そうとする。これこそ彼の情熱の最後の砦なのだから。どのような苦悩、どのような災禍に見舞われたとしても、自分の書いた物語は残る。カトゥリアンが拘泥してやまぬこの情熱は、マーティン・マクドナーの心からの願望でもあるのかもしれない。そして物語に対する情熱は、演出者・小川絵梨子の耳目によって確かに繋がっていく。小川は稽古中のインタビューで次のように述べている。 「物語というものがどうして我々には必要なのか。もしくはその物語というものが、どう我々の人生に、人間性に影響していくんだろうか。作り手もそうですし、物語を読む我々との関係が明らかになっていく。生きることとか、人生とか人間というものを肯定していくものなんだというのを、私たちに語ってくれるのかなと思っています」(新国立劇場公式YouTubeより) カトゥリアンも、ミハエルも、さらには警察側の2人にとってさえ、自分たちと物語の関係が重要であることが、芝居を見ていくうちにわかってくる。なぜこれほどまでに物語への執着が作者マクドナーを、そして演出者・小川を衝き動かすのか? ――それは、物語がそれを語る者が確かに生きたというあかしそのものだからである。人間は、このあかしの尊さを知ったら最後、あらゆる困難を経てもなお、どこまでもそれを守ろうとするだろう。『ピローマン』とは、そのことを身を挺して叫び続ける演劇作品として屹立しているのではないだろうか。 文=荻野洋一 制作=キネマ旬報社
『ピローマン』 【公演期間】2024年10 月 8 日(火)~ 27(日) 【会場】新国立劇場 小劇場 【作】マーティン ・マクドナー 【翻訳・演出】小川絵梨子 【美術】 小倉奈穂 【照明】 松本大介 【音響】 加藤 温 【衣裳】 前田文子 【ヘアメイク】 高村マドカ 【演出助手】 渡邊千穂 【舞台監督】 下柳田龍太郎 【出演】成河、木村 了、斉藤直樹、松田慎也、石井 輝、大滝 寛、那須佐代子
キネマ旬報社