【アーティスト菅木志雄インタビュー】〈もの〉の存在と〈場〉の永遠
1970年前後に「もの派」の中心メンバーとして注目され、現在も「もの」への独自の視点から多様な制作を続ける菅木志雄。出身地である岩手県の岩手県立美術館を会場に、初期作品から新作までを公開する大規模な個展が開催されている。『〈もの〉の存在と〈場〉の永遠』と題された個展の会場を訪れ、インタビューを行った。 【そのほかの写真を見る】「菅木志雄展 〈もの〉の存在と〈場〉の永遠」展示風景
ものがもつリアリティを考察する。
多摩美術大学で絵画を専攻した菅は、どのように平面から「もの」へ、空間表現へと意識が移っていったのだろう。学部に入っても3年生になるころには絵画の制作を一切せず、立体作品やインスタレーションを手がけるようになった。 「ただ見るための作品として絵画を手がけるだけでは気が済まないという思いがあり、絵画といえども、キャンバスでもなんでも結局はものだ、という考えが出てきたんですよ。どんなに薄い画面であっても、表だけではなく裏があって、その中間もあるわけです。始まりと終わりという言い方もできるけど、その始まりと終わりの間の中間のところに意識が向かうと、ものとはいったい何なんだという意識が生まれるわけです。描く対象として見るだけではなく、もっと別の意味でものを認識できないか、規定できないかと考えて制作を行うようになりました」 石や木などの自然素材、金属を加工した建築資材などの人工物なども区別なく、またサイズや形状も分類することなく扱う。そこに並べる、曲げるといったシンプルな行為を加え、素材同士や空間との関係性を考えながらものをものとして現出させる。つまり、作品を手がけるために素材を探し、選ぶというひとつの方向と、ものをものとして現出させるというもうひとつの方向が重なり合い、その結果が作品となって立ち現れてくるのだ。 「アーティストがものを選び、すべてを仕切って『はい、できましたよ』という構造性で制作するのではなく、素材自体のある部分なり何割かをサポートし、ものとものの中間存在として、ものと場を結びつける立場で関わるのがアーティストの役割だと思っています。アーティストとものも関係をもち、違うもの同士が同じ地平の中でそれぞれにリアリティをもてればこれが一番いいだろうと。自分を通してものがあり、ものがあるから自分も存在しているという状況をつくることが、僕にとって作品をつくる過程になっているのかな」