<春に挑む・東海大菅生センバツへ>/中 寮閉鎖、家で鍛える それぞれのコロナ禍越え /東京
「寮を解散する」。新型コロナウイルス感染症の最初の緊急事態宣言が発出された2020年4月、若林弘泰監督(54)はあきる野市の学校近くの寮のミーティングルームに選手たちを集め、苦渋の決断を伝えた。堀町沖永(おきと)(2年)は耳を疑った。92回センバツが中止になり、状況が悪いことは分かっていたが、まさかの思いだった。 硬式野球部員は首都圏のほか石川、愛知、広島と全国各地から集まっている。沖縄県出身の新入生、福原聖矢は前日に入学式を終えたばかり。「これからなのに」と言葉を失った。授業も休みになって、沖縄にとんぼ返りすることになった。 本来なら夏へ向けて力を蓄える時期。帰省がいつまで続くのか、夏の大会は開かれるのか、分からない事ばかりだった。口には出さなかったが誰もがもやもやとした気持ちを抱え、その日から一人、また一人と寮を後にしていった。 「良い機会かもしれない」。石川県に帰った千田(ちだ)光一郎(2年)は考えを切り替えていた。1年生の時からレギュラーをつかんだが、この頃バッティングの調子が悪く、何かを変えなければと感じていたところだった。中学時代の恩師に指導を受け、フォームの修正に取りかかった。 家族にも支えられた。富山県出身の橋本唯塔(ゆいと)(2年)は毎日4キロ離れた祖父の家まで走り、ティーバッティングを手伝ってもらった。沼沢大翔(はると)(2年)は山梨県の自宅で肉体改造に力を入れた。トレーニングをしながら、夕食に米飯を1キロ食べることを目標にし、夜食にも卵かけご飯を食べて、7キロ増量に成功した。 約2カ月間の帰省期間中、グループLINE(ライン)で毎日の練習メニューを共有した。緊急事態宣言が解除され、再び選手たちが東京に帰ってきた頃、季節は初夏にさしかかっていた。 既に夏の甲子園は中止が発表されていた。何のために野球をするのか--。大きな目標を失ったチームは火が消えたようだった。そんな日の練習前のグラウンドで、若林監督が言った。「お前たちのことを可哀そうだと思わない。最後までやることが大事なんだ。思い出作りじゃない。勝ちに行くぞ」。言葉は選手たちの胸にぐさりと刺さった。 チームに緊張感が戻った。異例づくしの球児たちの夏が始まった。【林田奈々】 〔都内版〕