レバノン人が語る、イスラエルの攻撃にさらされるレバノンの日常
■ 「これらは戦争ではありません」という言葉 中東で育ちながら、私はずっと毒のような暴力が、空から容赦なく垂直に降ってくるように感じていました。それは地面に着地して、砕け、破壊し、憔悴させる。 2020年8月4日のベイルート港で起きた爆発は有名ですが、空にいつでも存在する MKドローン(*)の絶え間ない騒音、音の壁を突き破るイスラエル軍機の存在などは日常的で、まるで私たちの風景の一つでさえありました。 *「スパイドローン」としても知られるイスラエルの無人デバイス。主な目的は監視、諜報、偵察。領土の高解像度画像を取得する。しばしばGPS システムに混乱を引き起こす。 また、それが陰謀論だとしても、権力者たちが語るスピーチの言葉や態度は、幼い頃から心につきまとい、平和的ではない思考を形成しました。 アムネスティ・インターナショナルが疑っているように、焼夷兵器である白リンの使用は耕作地全体を破壊し、オリーブの木を打ち倒し、南部の農民が作物を収穫できなくしてしまいました。 軽蔑すべきは、滅亡を目指している=土地を滅ぼそうとしていることです。それは私たちの地に、もう生命が繁栄しない、小さな文化も栄えることはないということ。そして壊滅や悲しみが、世代を越えて長く影響し続けるのです。 爆弾、爆発、警告演説、軍用機の爆音、軍用機の上空通過、焼夷球、避難命令、地下壕破壊、地上作戦──。 「親愛なるレバノン国民のみなさん、この戦争はあなたたちに対するものではありません」というネタニヤフ。ラジオやテレビやネットから聞こえてくる映像や言葉は、私たちにとっての戦争ではありません。 いや、これも戦争ですが、戦争とはもっと病的で莫大な現実です。 戦争とは、避難民の苦悩。難民。犠牲者。 戦争とは、病、不正義、忘却。 戦争とは、食糧不足、切断、孤児院。 戦争とは、女性がホルモン周期を普通に迎えられないこと。健康に生きることができないこと。子供が遊ぶことのできないこと。5歳の子供が、ひと月の間で10年も歳をとってしまうこと。子供が、まだ生き残っている友達の名を書き並べること。 戦争とは未来の夢が描けないこと。自己実現など考えられないこと。 戦争とは不毛、馬鹿げたこと。