岡本和真が初タイトルも輩出人数で見ると意外と少ない? 巨人の本塁打王史とは
巨人の岡本和真が最多本塁打と最多打点の二冠を達成した。このうち、最多本塁打のタイトル獲得は、巨人の選手としては2010年のアレックス・ラミレス以来。日本人選手では松井秀喜以来と実は久しぶりだった。今回は、岡本が獲得した巨人の「本塁打王の歴史」をまとめてみた。
巨人の本塁打王は過去に何人いる?
日本プロ野球史を振り返ると、巨人の選手で初めて本塁打王になったのは中島治康。1937年の春季リーグで4本塁打を放ち、タイガースの松木謙治郎と並んで本塁打王となった。その後、中島は1938年秋にも最多本塁打を記録。同年は最多打点と首位打者にもなり、日本プロ野球史上初の三冠王達成者となった。 1940年には、日本プロ野球史上初の2000安打達成者となる川上哲治が初の本塁打王を獲得。1948年は阪急より加入した青田昇が25本塁打を放ち、川上も同数だったために巨人の選手がダブル受賞となった。 1950年から2リーグ制となり、翌1951年は青田昇が巨人では2度目の本塁打王となっている。それから7年後の1958年には、鳴り物入りで入団したルーキーの長嶋茂雄がその評判にたがわぬ活躍を見せ、いきなり最多本塁打を記録。長嶋は1961年にも28本塁打で2度目の本塁打王を獲得した。
王の快進撃がはじまった1962年
長嶋が2度目の本塁打王となった翌1962年は、王貞治が38本塁打で自身初のタイトルを獲得。これが快進撃の始まりだった。王はそこから1974年まで13年連続で同タイトルを獲得。ご存じのように、これはNPB史上最長記録だ。1975年は王が調子を落としたこともあり阪神の田淵幸一に王座を明け渡すが、翌1976年は再び王者に返り咲く。結局1977年も本塁打王となり、通算15度の獲得は前人未到の最多記録だ。 王のすさまじいまでの活躍の反動か、以降はしばらく巨人の本塁打王は出現せず。ようやく登場したのは1998年で、それが松井秀喜だった。プロ注目の逸材として1993年ドラフト1位で入団した松井は、2年目にレギュラーに定着し活躍するも、しばらくはタイトルと無縁だった。しかし、1998年は序盤は不調に陥るも徐々に調子を取り戻し、終わってみれば王以来となる最多本塁打と最多打点の二冠を達成。その後、松井は2000年、2002年と巨人では3度の本塁打王となった。 松井以降は2004年にタフィ・ローズ、2010年にアレックス・ラミレスが巨人の選手としてホームランキングに輝いているが、日本人選手による獲得は松井以来はしばらくご無沙汰だった。今回、岡本が見事に獲得し、しかも巨人生え抜きというのも巨人ファンとしてはうれしいポイントだろう。