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命懸けの勝負に身をささげてきた阪神・藤川球児の生き様

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スポーツ報知

 藤川球児らしい引き際だと思った。9月1日に西宮市内で開かれた引退会見。あと5に迫った日米通算250セーブについて問われると、迷うことなく言い切った。「建前なしに言わせてもらうと、考えたことはない」。名球会入りした先人には配慮しつつも、偽らざる本音を吐露していた。  そもそも藤川はブレイク当初からクローザーだったわけではない。セットアッパーだった2006年途中に守護神・久保田がアクシデントによる故障から離脱。代役として抑えに回ったが、当初は複雑な心境を胸に抱えていた。  「抑えはゲームの流れが止まってから登板することも多い。中継ぎはまだ試合が動く可能性があるでしょ。7回の方が正直、燃えるんですよ」  実際にリーグ制覇した05年は藤川が相手打線の勢いを一気に断ち切る局面を幾度となく見てきた。不思議なことに、火の玉ストレートでピシャリと抑えた直後の攻撃で、金本や今岡のバットから駄目押し点が生まれる。流れをガラリと変える快投は、JFKの中でも、異彩を放っていた。  藤川は現在、シーズン終盤の復帰を目指し、兵庫・鳴尾浜でリハビリを続けている。周囲は松坂世代初の名球会入りを期待するし、1軍復帰後のポジションや起用法に注目が集まるのは間違いない。ただ忘れてはいけないのは、日米通算245セーブだけでなく、NPB歴代7位の163ホールドの勲章も持っていることだ。  「(名球会を)目指している人がいて、それがいい機会だと言う人は素晴らしいことだと思う。僕はポジション的に感じることができなかった。それより重要なことがありました」  個人記録には関心を示さず、チームの勝利に飢えていた。セーブ数よりも、巨人・清原、中日・ウッズらとの命懸けの勝負に闘志を燃やしてきた。どんな形でユニホームを脱ごうとも、球児伝説が色あせることはない。 (記者コラム・表 洋介)

報知新聞社

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