“違和感”に耐えられない視聴者が増加? テレビドラマの過去と未来を守るために必要なこと
作品を守るために必要なこと
成馬:そもそも岡室さんはいつ頃からドラマについて書き始めたのですか? 岡室:きっかけはTwitter(現・X)ですね。以前、『木更津キャッツアイ』(TBS系)についての論文を書いたこともあるんですが、その時はあまりうまく書けなくて。その後、2011年頃にTwitterでドラマについて呟くようになってから状況が大きく変わりました。Twitterがまだ幸せだった時代で、みんなといっしょに『カーネーション』や『あまちゃん』についてたくさんツイートしていたのですが、それを目に留めてくれた新聞社の方が取材してくださるようになって、本も書いてないのにテレビドラマについて書いたり語ったりする仕事がいろいろ来るようになりました。 成馬:そこから「テレビドラマ博覧会」までわずか数年だと考えると急展開ですね。 岡室:ずっと演劇研究者をやってきましたが、テレビドラマは子どもの頃からずっと好きだったんですよ。だからせっかく館長になったので任期中にテレビドラマの展覧会をやりたいなと思ってたんですけど、ある日『想い出づくり。』(TBS系)や『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)といった作品のプロデューサーでテレビ界の大御所の大山勝美さんから「テレビドラマ展」をやってほしいというお電話をいただいて。残念ながらその数日後に大山さんは亡くなられたのですが、遺言を受け取ったつもりで2017年に演劇博物館で『テレビの見る夢――大テレビドラマ博覧会』と『山田太一展』を開催することになりました。 成馬:『大テレビドラマ博覧会』を開催する上で何か心がけたことはありますか? 岡室:昔のドラマをアナログのテレビで見せるために、ブラウン管のテレビを大量に集めてもらいました。あと、とにかく主観的なドラマ展をやりたいと思いました。私はテレビドラマは主観的にしか語れないとどこかで思っているので、あくまで私にとってのテレビドラマ史なんですよね。 成馬:それはこの本にも表れていますね。ドラマ史的に重要な作品に触れてないなぁと思うと意外な作品を重要な作品として扱っていて。でも、そこに岡室さんの個性が出ていると思うんです。演劇博物館の館長のほかにもフジテレビ番組審議会委員や文化審議会委員など岡室さんは放送関係の役員や委員の仕事にも多数関わっていますが、それはやはり大学教授としての使命感からですか? 岡室:テレビドラマを研究してる人って意外と少ないんですよね。私ももともとの専門は演劇ですし。とにかく、テレビドラマ研究を始める前の子供の頃から本当にドラマが大好きでものすごく観てきたんですよ。だから「観てきた」ということしか私にはないんだけど、でもそうやって、ちゃんとテレビドラマ愛のある人間が公的な場所で語ること、現場の人は現場の人の感覚があるし、普段、ドラマに触れていない人が独自の視点で語ることの面白さもあるんですけど、作り手とは違う第三者的な立場からドラマ史を踏まえた上で語ることはとても大事なんじゃないかと思っています。私が人よりうまく語れると思ってるわけでは全然ないし、キャリア的にも未熟ですが、そういう機会が与えられるんだったら、ちゃんとそこで語っていこうと思います。 成馬:『大テレビドラマ博覧会』はすごくやったことに意義のあるイベントだったと思うんです。ああいう博覧会をアカデミックな場所でできたことの意味はとても大きくて、テレビドラマを歴史的に位置付けて社会的な立場を高めることができる。 岡室:私ごときが言うのもおこがましいんですが、公的な場所で発言することで少しでも放送の地位を上げていきたいんですよね。放送って芸術と思われていないところがあるじゃないですか。「芸術が偉いのか?」という気持ちは凄くありますし、むしろ芸術ではないところがテレビの良さとも思うのですが、一方で人の心の奥底に届くような芸術性の高いドラマは確実に存在するし、テレビの影響力は今でもとても大きい。なのに蚊帳の外に置かれている状況に対する憤りがいつもあって。テレビ業界の人も「放送はいいですから」なんて言う方もいて、私のやっていることが良いことなのかどうかは本当はよくわからないんですね。ただ大学でテレビについて教え始めた時に、これだけ多くの人に影響を与えているのに「スルーされすぎじゃないか?」みたいな気持ちはあって。だから新しい学部ができるときに同僚でテレビ研究の先輩だった長谷正人さんと「テレビのことをちゃんとやりましょう」という話をしました。 成馬:大学ではテレビドラマについて、どのように教えているのですか? 岡室:はじめに長谷さんとテレビ文化論っていう講義と演習を作って、最初は二人で両方やってたんですけど、両方やるのは負担なので、長谷さんが講義をやり、私が演習をやっています。演習では様々なドラマを取り上げているのですが、私も講義をやりたくなってテレビ史という授業を作って、テレビ草創期から現代にいたるまでに放送された良いと思うドラマを取り上げて喋っています。演習では、上から目線で批評するのではなく、できるだけ深く掘り下げて学生たちに豊かに受容してもらうことを心がけています。 成馬:いつごろ始めたのですか? 岡室:テレビ文化論は2008年、テレビ史は2020年ですね。テレビ史を立ち上げた途端にコロナになってオンデマンド授業になったんですよ。だからすごく大変だったんですけど、ちょうど著作権法の改正案が施行された時期で、大学のオンライン授業でも映像を引用していいってことになって。面白いのは、みんな家で課題の作品を観ているので、家族と一緒に観てる学生が多かったんですよ。『ロングバケーション』(フジテレビ系)の話が出て、お母さんが盛り上がりましたと言われたり。ドラマってやっぱり人の記憶を喚起するものだなってことを改めて思いました。演習はいろんな作品を取り上げて、研究発表してもらうのですが、現代のコンプライアンス的な価値観で過去のドラマを断罪する学生もいて、なかなか難しいなぁと思います。 成馬:どう対応しているのですか? 岡室:「当時の価値観について」まずは説明をします。今の私たちの感覚で作品を批判すること自体は否定しないのですが「こういうことが容認されてた時代だったんだ」ということも踏まえてみないと作品の中に入っていけないとは伝えます。 成馬:この本を読んで感銘を受けたのは『あしたの家族』(TBS系)について書かれた第11回なんです。岡室さんが「ドラマ批評をやっている経験からすれば、違和感を抱く箇所こそ重要である」と書かれていて、大変共感しました。 岡室:私が言うのもおこがましいと思ったのですが、「これを書かないと続けられない」と思って書きました。 成馬:この一文があるだけでも、この新書が出版された意味はあると思います。逆にいうと今の視聴者は違和感を欠点だと思っていて、いつも減点法で考えている。それがとても居心地が悪かったので「よくぞ、書いてくれた」と拍手喝采でした。 岡室:主人公が一度結婚に失敗したのに、新たに出会った人と盛大な結婚式を挙げたり、結婚後に、最初の夫と住むはずだった家に住むことへの違和感を理由に『あしたの家族』を批判する投稿が幾つかあったんですよね。なんで主人公があえてそういう決意をしたかが大事なのに、一般的な価値観で叩かれるのは切ないと思って、書いておきたかったというのはあります。 成馬:視聴者が違和感に耐えられなくなっている。少し前は、むしろ違和感を楽しんでたのに。 岡室:正しい人が正しいことをやらないと怒られますよね。作り手が違和感を差し挟むって、それこそ「はて?」と思わせることなので、違和感がないと面白くないですよね。 成馬:作り手の主張と捉えて、間違っていると批判してしまう。『不適切にもほどがある!』の時は特にそれが顕著でSNSの反応を見ていて苦しかったです。 岡室:宮藤官九郎さんのドラマって、誰一人として正しい人は出てこないじゃないですか。登場人物が皆どこか間違えていて、視聴者はそれこそ「不適切」であることを批評的に見ながら、それが自分にも返ってくるというドラマなんだと思うんですよね。 成馬:たとえば、名作と名高い山田太一さんの『想い出づくり。』ですら、現代の価値観で観るとギョッとする場面がありますよね。今は神格化されていますが、部分的に切り取られてSNSに流されたら、いつ炎上してもおかしくないと思うんですよ。 岡室:特に今は映像の一部分を切り取って批判されてしまうので、いくらでも叩かれてしまうんですよね。私はデジタルアーカイブの集まりで「放送のアーカイブをどうやって開いてもらうか」という勉強会をやっているのですが、テレビ局はすごく貴重なアーカイブを持ってるけれど、なかなかアクセスできない。それをどうやったら開いてもらえるかを考えているのですが、同時に古いドラマを表現としてどうやって守るかということも考えないと、放送アーカイブの公開は前進しないと思っています。 成馬:作り手を守るためにも、作られた時代の価値観を踏まえたドラマ批評が必要になっていくのかもしれないですね。 岡室:おっしゃるとおりだと思います。テレビは「時代を映す鏡」だからこそ、そういう批評が大事になっていくと思います。
成馬零一