日本軍士官も愛用した「天才が造った傑作銃」【ブローニングM1910】
かつて一国の軍事力の規模を示す単位として「小銃〇万挺」という言葉が用いられたように、拳銃、小銃、機関銃といった基本的な小火器を国産で賄えるかどうかが、その国が一流国であるか否かの指標でもあった。ゆえに明治維新以降、欧米列強に「追いつけ追い越せ」を目指していた日本は、これら小火器の完全な国産化に力を注いだのだった。 「銃器設計の天才」として世に知られるジョン・モーゼス・ブローニングは1855年1月23日、アメリカのユタ州オグデンで誕生した。彼は「弾丸・発射薬・薬莢・雷管」が一組になった現代弾薬の完成期であり、発射薬の力を利用して作動する銃器のオートマチック・メカニズムの登場期でもあった19世紀末から20世紀初頭にかけて、小型のポケット拳銃から重機関銃に至る各種銃器と、それらに使用する弾薬を設計している。 そのブローニングが設計したオートマチックのひとつが、1910年にベルギーのファブリック・ナショナル社(FN社と略)からM1910として発売された。今の日本では「峰不二子のブローニング」といったほうが通りがよいかも知れない。 滑らかな外観でポケットからの抜き撃ちにも対応。作動方式は故障知らずの単純なストレート・ブローバック。小さな銃にもかかわらずサム・セーフティー、グリップ・セーフティー、マガジン・セーフティーという三重ものセーフティーが組み込まれた本銃は、きわめて安全に携行できた。使用する弾薬も、彼が手がけた.32ACP弾(ACP はAutomatic Colt Pistolの略)で、後には.380ACP弾モデルも発売されている。 本項で何度も記しているように、戦前から戦中の日本軍士官は私費で好みの拳銃を購入して使ったが、小型軽量で信頼性と安全性も高く、価格も適正なこのM1910は大人気だった。そして軍人だけでなく、警察などの法執行機関や民間人にも使用されている。そのため使用する弾薬の.32ACP弾も、7.65mm拳銃弾として陸軍造兵廠で国産化されていた。 きわめて人気が高かったにもかかわらず、M1910はライセンス生産などで国産化されることなく輸入に頼っていたため、太平洋戦争が勃発して国内在庫がなくなると入手が困難になってしまった。 すでに亡くなられてしまったが、筆者はかつて私物でM1910、官給品で94式拳銃の両方を使われていた旧陸軍下士官のかたからお話をうかがったことがある。そのかたは、機能性、作動性、安全性、整備性、携行性のすべての面で前者が圧倒的に優れており、なぜ軍はわざわざ94式拳銃などを造ってM1910を模倣生産するなりしなかったのかと疑問を持っておられた。実際に使われていたかたのこのようなお話からも、本銃が長らく世界的ベストセラーであった理由が垣間見える。 ちなみに、第1次大戦勃発の引金となったオーストリア・ハンガリー帝国皇太子フランツ・フェルディナント夫妻が暗殺されたサラエヴォ事件では、刺客がM1910の.380ACP弾モデルを使用した。また戦後の日本でも、長らく公用拳銃として用いられていた。 ※本稿につきまして、当初前回の連載「OK牧場の決闘」でも使われた傑作拳銃【壱番形元折式拳銃】」の内容が掲載されておりました。大変申し訳ございませんでした。(2024年10月11日訂正)
白石 光