世界で人気のK-POP、韓国経済転落の産物だった
(平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授) 最近は少し静かになったものの、K-POPの飛ぶ鳥を落とす勢いは相変わらず続いている。BTS(防弾少年団)やブラックピンクなど、アメリカのビルボードホット100で上位に食い込むグループも出てきている。歌唱力は安定していて、ダンスも見事だ。私も気が付けば口ずさんでいるし、車を運転しているときもラジオなどでよく聴いている。 その一方、日本ではJ-POPの低迷を嘆く声がネット上で散見される。個人的には日本にだって素晴らしいパフォーマンスを披露する歌手がいると思っているが、どうしてもK-POPの勢いが目立ってしまうのだろう。 ■ K-POPが誕生した背景 「K-POP」という言葉は1990年代後半に出現した。日本で80年代の終わりから「J-POP」という言葉が用いられるようになり、それが韓国に流入。そして90年代後半に韓国の音楽界に新しい波が起こり、K-POPという言葉が生み出された。 K-POPという言葉自体は、J-POPとの差別化を図る目的で作られたもので、“K-”が「韓国発」を意味しているものの、韓国色を強くアピールしているわけではない。それよりもむしろ「新しい音楽スタイルをつくり上げていく」というメッセージが強い。
元々、韓国の歌謡界は、日本統治時代を中心にその基礎が作り上げられた。戦後になると、80年代までは主に在日韓国人を通して日本から引き続き影響を受けてきた。K-POPでも「アイドル」という言葉が用いられるのは、その一例だ。 だが、その一方で、アメリカに移住した韓国人も多いのと、ソウル都心部をはじめ狭い半島内の各地に米軍基地が置かれたため、アメリカからもかなりの文化的影響を受けてきた。 つまり韓国の歌謡界は、戦前・戦後を通して日米の外国文化を取り入れた複合文化の基盤の上に展開されてきた。そして、戦後長い時間をかけて試行錯誤が繰り返されながら、90年代半ばまでは主に国内に向けて発信されてきた。 だが、そうした環境が90年代後半に一変する。その結果生み出されたのがK-POPというジャンルだ。 実はK-POPは、韓国がIMF管理体制下に入ったことを契機に生まれ、急成長を遂げてきたジャンルである。97年に通貨危機の韓国がIMF管理体制化に置かれると、経済は大きく委縮した。それまで韓国歌謡を支えてきた庶民の購買意欲は急激に冷え込み、CDなどの売り上げが激減した。そこで、芸能事務所は海外に市場を求めざるを得なくなった。同時に、98年より政権を担った金大中大統領は、韓国の情報社会化の促進を政策に掲げた。 こうした状況のなかで、芸能事務所は海外に韓国のアーティストを定着させ、しかも近い将来訪れるであろう高度情報化社会に見合ったコンテンツを提供することを目指した。その成果が現在のK-POPの世界的流行へとつながったというわけだ。