「私にもこんなヤバいことがありました」ボロ負けした蓮舫が政治家として返り咲く唯一の方法
たとえば、蓮舫氏は都知事選明け早々に、小池都知事と駐日イスラエル大使との2ショット写真を掲載し、「当選直後にこの外交は私の考えではあり得ません」「都民の一人としても、とても残念です」と批判しました。しかし、この2ショットは2年前に撮られたもので、蓮舫氏の勘違いであったことが判明します。しかし、蓮舫氏は特に謝罪することもなく、投稿をそっと削除したのでした。 誰にでもミスはありますが、落選後というただでさえ叩かれやすい時期に、事実誤認プラスそこを認めないエピソードがプラスされると、過去と現在の投稿が見抜けない、つまり、判断能力に問題があり、たやすく他人のことは攻撃するけれども、自分のミスには甘いというマイナスの印象が膨らんでしまいます。SNSは特に“不正”に敏感ですから、これらの情報が拡散されることで「デキるオンナだと思っていたけれど、案外ヤバかった」とみなされてしまう可能性はないとは言えないでしょう。
蓮舫にないもの「小さく負けて、大きく勝つチカラ」
繰り返しになりますが、選挙で負けたからといって口をつぐめという意味ではありません。投稿することで「なるほど、蓮舫の言うとおりだ」と唸らせたり、女性層や若い人に「意外な一面を発見した、心情は理解できる」と思わせることができたら、今回の選挙で負けたとしても、長い目で見れば「価値ある負け」ではないでしょうか。2019年9月2日放送の「有田哲平・高嶋ちさ子の人生いろいろ超会議」(TBS系)において、バイオリニスト・高嶋ちさ子が、青山学院の先輩にあたる蓮舫氏と会食した際の「私の子育ては完璧だから!」と言われたことを明かしていましたが、 完璧主義で実行力もあるという自負があるゆえに、負けを過剰に恐れてしまうのかもしれません。 しかし、「負けるチカラ」こそ、格差が急速に広がる社会で、不特定多数に指示されないといけない政治家に必要な能力なのではないでしょうか。政治家は実行力や実績で勝負すべきと言いたいところですが、小池氏が候補者討論会をさらっと欠席し、お咎めがないことでもわかるとおり、政策は二の次三の次であるのが現状です。そうなると、候補者のイメージが必要以上に大事になってくるのですが、応援したいと思わせるチカラがあるかないかで選挙の結果が変わってくるように思うのです。 有名政治家になればなるほど、負けている自分を見せるのがうまいように思います。たとえば、貧困家庭に育ったために学校に行けず、実業家を経て政界入りし、総理大臣にまでのぼりつめた田中角栄氏は「今太閤」とか「庶民宰相」と呼ばれたりしました。「田中角栄 魂の言葉」(三笠書房)によると、大蔵大臣に就任した際、角栄氏は官僚を前にして「私が田中角栄である。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才の代表であり、財務金融の専門家ぞろいだ」と演説したそうです。大臣にまでなったのだから、学歴の話なんてしなくていいと言う人もいるでしょう。しかし、私は角栄氏は“あえて”この話をしたのだと思います。同書によると、角栄氏は「嫉妬はインテリほど強い」という言葉を残したとされています。ですから、超インテリ集団の前で“あえて”負けを認める発言をしたのではないでしょうか。人には良心というものがありますから、「学歴がない」と自分から言う人にむかって「そうだ、おまえはヤバいんだ!」と攻撃をしかける人はいないでしょうし(いるとしたら、その人がヤバい)、「家庭の事情だったんだから仕方ない」と同情されたり、「それなのに大蔵大臣になるなんて、すごい。とんでもない能力の持ち主に違いない」と信念バイアスを強化させた人もいるでしょう。非政治家家庭に育ち、選挙にやたら強い印象のある小池氏も“負け上手”と言えるのではないでしょうか。小池氏にあって、蓮舫氏にないのが「小さく負けて、大きく勝つチカラ」ではないかと思うのです。 2016年の東京都知事選において、元都知事の石原慎太郎氏は、小池氏について「大年増の厚化粧がいるんだな。やっぱり厚化粧の女に任せるわけにはいかない」と発言しました。 年齢も化粧の濃さも、政治家としての能力に関係はなく、明らかにセクハラに当たるヤバ発言と言えるでしょう。小池氏は先天的なアザがあって、医療用の化粧品を使っていると告白したことで 、自分ではどうしようもないことをけなす行為はいかがなものかと、石原氏はさらに批判されたのでした。弱い人に肩入れしたくなる「判官びいき」は、心理学ではアンダードッグ効果と呼ばれており、選挙に影響を与えることがわかっています。一連のやりとりを見て、これは流れが変わった、小池氏の勝ちだと私は感じましたが、見事に小池氏は当選を果たしたのでした。