この時代の日本に生まれることが出来て良かったーー小さいが確かな輝きに世界が満たされる短編集『街角ファンタジア』
本を手にしたら作品より先に、「あとがき」や「解説」を読んでしまう。そういう人は少なからずいるはずだ。というか、私がそうである。だから短篇五作が収録されている、村山早紀の『街角ファンタジア』も、「あとがき」から目を通した。そして、そこに書かれていることに、大いに共鳴してしまった。少し長くなるが、引用させていただこう。 「その星の、日本に昭和の時代に生まれ、平成、令和の時代を生きたことを――心痛む幾多の出来事を見聞き知ったことには哀しみを覚えますが――興味深いという意味で、面白い時代に生まれ合わせたものだ、と思います」「社会にいろいろと大きな変革と変化があり、技術が大きく進み、地球が一気に狭くなったこのタイミングに生まれ合わせることが出来て良かったです」 ああ、私も作者と同じようなことを、常々、感じている。メチャクチャに技術革新が進み、変化し続ける社会や生活が、面白くてたまらない。さまざまなジャンルのエンターテインメント作品が、独自に進化している、この時代の日本という国で生きていることが、やたらと嬉しい。もちろん世界も日本も問題は山積みであり、あちこちに閉塞感が漂っている。未来は暗いのかもしれない。このような不安はあるが、それでも昭和から令和と、楽しいことが多かった。だから、同じような気持ちを抱いている作者が書いた、「優しい奇跡」に満ちた本書は間違いなく面白いと、読み始める前から確信してしまったのである。そしてその期待は、充分に果たされたのだ。 冒頭の「星降る街で」は、古い洋館を使った小さな英会話学校で、事務の仕事をしている淳という青年が主人公。クリスマスイブの日、休日だったが仕事に呼び出された淳は、淡い恋心を抱いていた英語教師が結婚することを校長から聞いて、落ち込んでしまう。さらに帰り道、石段を踏み外して、体のあちこちを擦りむいた。お気に入りの眼鏡も壊れてしまう。ふんだり蹴ったりの一日だが、地面に書かれたクリスマス・メッセージにほっこりし、馴染みのケーキ屋に寄って小さなホールケーキを買って、ちょっと心が上向きになる。そして帰り着いた家で、猫の鳴き声を聞いた。弱っている迷い猫を保護した淳は、翌日、動物病院に向かう。このことが新たな出会いへと繋がっていくのだった。 感激屋で涙もろく、他人の幸せそうな顔を見ると自分まで幸せになる淳は、とにかく善人である。しかし彼だって人間だ。落ち込む日もある。作者は、そうした淳のキャラクターと気持ちを簡潔に浮き彫りにしながら、彼にささやかな奇跡をもたらすのだ。どこまでも温かく、気持ちのいい物語である。 続く四作は、ファンタジーの要素が強くなる。「時を駆けるチイコ」は、寂れた商店街にある古いレストランが、店を閉めようとする場面から始まる。亡きおじいちゃんが昭和の時代に始めた店がなくなることを悲しむ孫の千世子。実はおじいちゃんは絵の才能があり、漫画家の道に進む可能性があった。だが、病弱な妹の千代子のこともあり、戦前、自分たちの家と食堂のあった場所に、レストランを建てたのだ。もしおじいちゃんが漫画家になっていたら、違う未来があったのか。熱を出して寝込んだ千世子は、気がつけば千代子になっていた。不思議なところの多い飼い猫に導かれたのか、それとも町の神社に祀られている猫神さまのお陰だろうか。ともあれ千世子は、自分がおじいちゃんの人生を決める運命の日にいることを知り、ある行動に出るのだった。 歴史改変ファンタジーというべきか。千世子の行動によって変化した現代が、あまりにも幸福で、こちらまで嬉しくなる。これも温かく、気持ちのいい物語だ。なお、収録された五作のすべてに猫が登場している。猫好きな人にとっては、そこも読みどころになっているのだ。 以下、「閏年の橋」は、デビュー以来、イヤミスを書き続けている女性作家が、懇意の編集者からほっこりした作品を求められ、自分の人生を振り返る。「その夏の風と光」は、戦争中に死んだ少年の幽霊と、同年代の人と馴染めず物語の世界に浸っている少年が、夢の中(と思われる)で邂逅する。ラストの「一番星の双子」は、アルバイター兼零細ライターの女性が、子供の頃の大親友のことを回想する。どの話も、主人公にささやかな奇跡が訪れ、小さいが確かな輝きに世界が満たされるのだ。このように素敵な短篇集を、新刊で読むことができるのも、この時代の日本に生まれたからこそだろう。最後に、あらためて本書の「あとがき」に目を通し、またもや大きく共感してしまったのである。
細谷正充