ざまあみろ…「復讐=悪」と思い込む人が知らない「復讐の効用」
「復讐」がテーマとなったマンガや映画は多くの人を夢中にさせるが、現実世界で復讐する場面というのはそうそうない。そもそも復讐は悪いことなのか?復讐は甘美なもの、と語る立命館大学大学院准教授の戸谷洋志氏が、正しい復讐とはなにかを解説する。※本稿は、戸谷洋志『悪いことはなぜ楽しいのか』(ちくまプリマ、筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 「刑罰が甘い」「加害者にも同じことを」 他者への苦しみの欲求の正体 私たちが他者を苦しめたいと思うことは、実は意地悪以外にも起こりえるように思います。意地悪は、他者が苦しんでいる姿が楽しくて行われます。しかし、別に楽しくもなんともないけど、他者を苦しめたくなることが、人間にはあるからです。 それが、復讐です。たとえば私たちは、他者から損害を被ると、相手に同じ目に遭わせてやらないと気が済まない、と思うことがあります。また、人の命に関わる凶悪な犯罪に関するニュースを見ると、「加害者にも同じことをするべきだ」、「いまの刑罰は甘い」といった声を耳にすることもあります。 いわゆる、「目には目を、歯には歯を」という発想です。でも、そうやって他者が苦しんでくれたところで、自分がハッピーになるわけではありません。そのとき私たちは、意地悪とは異なる形で、他者が苦しむことを求めているように思えます。
僕は大学で先生をしています。みなさんは、大学で先生になるには、どうしたらいいと思いますか? 実は、それには色々な方法があるのですが、もっとも一般的なのは、大学院で博士号を取り、求人情報を出している大学に自ら応募することです。しかし、この方法で採用されるのはとても困難です。一つの求人に対して、とても多くの人が応募するからです。 大学の採用者は、数多くの応募者のなかから、その求人に適した人を決めなければなりません。その大学の理念と適しているのかどうかはもちろん、応募者がどれだけ業績を積んできたのか、ということも評価されます。そしてそこには、前任者と専門が近いといった、運の要素も加わってきます。 そういうわけですから、哲学の研究者として大学教員になろうとすることは、生半可な覚悟では成し遂げられません。そのため、指導教員や先輩たちは、その覚悟を試すようなことをよく言います。「就職するのはとても難しいから考え直した方がいい」といった具合に。