ざまあみろ…「復讐=悪」と思い込む人が知らない「復讐の効用」
紀元前18世紀にバビロニアで制定されたと言われているハンムラビ法典には、「目には目を、歯には歯を」という記述があったとそうです。 これは、たとえば、他者の目を傷つけた加害者は、自らの目も同じだけ傷つけられなければならない、という考え方で、一般に同害報復と呼ばれる原則です。この意味で、この考え方は復讐を正当化していると言えます。 ● 「目には目を、歯には歯を」 復讐の善悪をどこで判断する? ただし、重要なのは復讐に上限を定めている、ということです。たとえば「私」の目を傷つけてきた加害者が、どれほど憎たらしかったとしても、正当な復讐として認められるのは、その加害者の目を傷つけることだけであり、命までをも奪ってはいけません。 この考え方に従うと、復讐がそれ自体で悪いこと、というわけではなさそうです。どちらかと言えば、そこでは正しい復讐と正しくない復讐が区別されているのです。 私が子どもの頃に通っていた空手の道場の師範は、大変な人格者でした。彼はよく、たとえ誰かから叩かれることがあったとしても、君たちはその人にやり返してはいけないよ、と言っていました。
なぜなら、空手を習っているということは、普通の人より力が強くなることを意味するからです。同じように素手で叩くのだとしても、空手を習っている人がそうするのは、凶器を使っているのと同じになってしまう。 だから、同じことをやり返したつもりでいても、実際にはそれ以上のダメージを、相手に与えることになってしまう。したがってそれは不正な復讐になってしまうのです。 彼はよく、頬を叩かれることがあったら、反対側の頬を差し出すくらいの心の広さを持ちなさい、と言っていました。残念ながら、私は彼の教えに反して、心の狭い人間に育ってしまいましたが、その教えは今でもよく覚えています。 後から知ったことですが、実はこの発想は、キリスト教に由来するものです(たぶん、師範はキリスト教徒ではありませんが)。『新約聖書』では、「目には目を、歯に歯を」というハンムラビ法典の規則が、名指しで批判されています。 そこでは、この考え方に従うべきではなく、「もしだれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」と書かれています。それではやられっぱなしになってしまうではないか、と思いましたか? その通りです。そうやって復讐心に抵抗することこそが、キリスト教がもっとも重視する、愛なのです。
戸谷洋志