ざまあみろ…「復讐=悪」と思い込む人が知らない「復讐の効用」
かく言う私も、そういう言葉を浴びながら研究を続けてきました。そうした諫言をしてくれる人の多くは、純粋な良心でそう言ってくれています。 しかし、中には少し腹が立つ言い方をする人もいるのです。ある時、先輩から「君がどれだけ頑張っても絶対に無理だから諦めろ」と言われたことがあります。私はその言葉からはっきりと悪意を感じ、怒りがこみ上げてきました。 喧嘩こそしませんでしたが、その先輩からは距離を取り、絶対に彼を見返してやると心に誓ったことを覚えています。 ● 「ざまあみろ」と叫んだことで 嫌味の呪縛から解放された 色々な幸運が重なって、私は無事に就職することができました。しかしそのとき、その先輩はまだ就職できないままでした。私は心のなかで「ざまあみろ」と叫びました。それでようやく、先輩から言われた嫌味の呪縛から、解放されたように感じたのです。 私は、できることなら、その先輩と直接対峙し、「ざまあみろ」と言ってあげたかったです。きっと先輩は、苦虫を噛み潰した顔で、「ぐぬぬ」と言ったでしょう。その表情をぜひ見たかった。
もちろん、そんなことを本当にやったらトラブルの原因になりますから、やりませんでした。 いま思い返すと、そのときの自分の心の狭さに愕然としますが、このとき私は、たぶん復讐心に駆られていたのだと思います。私は、先輩の「ぐぬぬ」顔を想像しては、愉快な気持ちに浸っていました(みなさんはこういう大人にならないでくださいね)。 このように、復讐は甘美なものです。ある意味では、復讐することは楽しいです。しかし、それは純粋な意地悪とは異なっています。 私は、復讐が果たされたと確信するその瞬間まで、先輩に言われた嫌味にずっと苦しんでいました。心の中で、そう言われたとき先輩の声が響き、先輩の表情がぼんやりと浮かんでいました。先輩の「ぐぬぬ」顔は、その亡霊のようなイメージを消し去ってくれたのです。 復讐の喜びは、そのようにして自分の何かが取り戻されたように感じること、自分の中につけられてしまった傷が修復されたように感じることなのではないでしょうか。 そもそも、復讐っていいことなのでしょうか。それとも、悪いことなのでしょうか。