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中国が世界に誇るべき作家、閻連科とは、素晴らしい「異なる音」なのだ―閻連科『丁庄の夢』沼野 充義による書評

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◆凄惨な実話を伝える覚悟 現実とは思えないすさまじい出来事を描いた小説なのだが、じつは実話に基づいているという。しかし、悲惨きわまりない題材を描きながら、厳しい言論統制を撥(は)ね返すような強度をもった、芸術的な作品が生まれた。閻連科――作品が次々に発禁処分を受けながら、中国国内でなお旺盛に書き続ける作家である。 『丁庄(ていしょう)の夢』の背景は、一九九〇年代に「売血」に人々が殺到した結果、エイズが大流行し、多数の死者を出した歴史的悲劇である。当時中国では輸血用の血液の不足を補うため、政府が「売血」を奨励したのだが、不衛生な採血方法のせいで人々は次々にHIVに感染したのだ。 閻連科は、エイズで殆ど壊滅した農村で潜入取材を行い、この大長編を書き上げた。舞台は、河南省東部の丁庄という農村。都会の繁栄から取り残された寒村だが、純朴な農民たちは血を売って金を稼げばいい暮らしができるという甘い誘惑に乗せられて、こぞって血を売った。その機を利用して、人々から強引に搾り取った血を売って大儲けする「血頭(けっとう)」も続々と現れた。しかし注射針を使い回したせいで、血を売った者の多くがエイズを発症し、「木の葉が風でハラリと落ちるように」「灯が消えるように」死んでいった。 ユニークな語りの構造になっている。すべてを物語るのは、すでに十二歳で死んでしまった少年なのだ。彼の父親は血を買い集めて荒稼ぎをした、村で最大の「血頭」だったため村人たちの恨みを買い、その息子である少年は毒入りトマトで殺されてしまった。地下に埋葬された少年の霊を通じて、地上の凄惨な現実と少年の祖父が見る夢が描き出され、現実と夢が継ぎ目なしに接合していく。少年の父は村人たちの恨みを尻目に出世して地方権力者となり、疫病で死んだ者たちのための棺桶の流通を取り仕切り、さらに若くして死んだ男女の「陰親」(死後結婚)で財を築く。 他方、少年の祖父は、村人たちに「先生」と敬愛され、村の学校の守り主となる。人徳者である彼は、息子の悪行に心を痛め、実の息子なのに絞め殺そうとさえする。その祖父が病人たちを学校に集めて共同生活を始め、一種のユートピアが形作られるのだが、そこにも様々な波瀾(はらん)が生じる。エイズ患者同士の許されざる「賊愛」は単なる不倫を超えて、壮絶な最後を迎える。全体が血の赤に染め上げられたような、禍々しくも美しい小説である。いかにも「魔幻現実主義」という名に相応しい。 こんな小説の出版がよく許されたものだと感嘆するが、じつは本書は中国では二〇〇五年に初版が出たあと、再版禁止処分になった。日本語訳は最初二〇〇七年に出たが、今回、コロナ禍の現代情勢を踏まえ、「厄災に向き合って」という著者自身の最新エッセイを添えて新装版として出版されることになった。そこで閻連科は、もしも作家が「思考せず」「賛美の歌」を歌い、「良心をごまかして生きる」ならば、文学は「悪のためのもの」になると言い切り、「人類が災難に直面したとき異なる音が存在しないことが最大の災難なのだ」と主張する。閻連科とは、まさにこの素晴らしい「異なる音」なのだ。国家にどう扱われようとも、彼は中国が世界に誇るべき作家である。 [書き手] 沼野 充義 1954年東京生まれ。東京大学卒、ハーバード大学スラヴ語学文学科に学ぶ。2020年7月現在、名古屋外国語大副学長。2002年、『徹夜の塊 亡命文学論』(作品社)でサントリー学芸賞、2004年、『ユートピア文学論』(作品社)で読売文学賞評論・伝記賞を受賞。著書に『屋根の上のバイリンガル』(白水社)、『ユートピアへの手紙』(河出書房新社)、訳書に『賜物』(河出書房新社)、『ナボコフ全短篇』(共訳、作品社)、スタニスワフ・レム『ソラリス』(国書刊行会)、シンボルスカ『終わりと始まり』(未知谷)など。 [書籍情報]『丁庄の夢』 著者:閻連科 / 翻訳:谷川 毅 / 出版社:河出書房新社 / 発売日:2020年06月26日 / ISBN:4309208010 毎日新聞 2020年7月18日掲載

沼野 充義

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