「人は絶対ミスるけど、それでも人生は続くし、また笑えるようになる」──漫画家・鳥飼茜が青年誌で性を描く理由 #性のギモン
鳥飼がやりたいことは、中絶の是非を論じたり、避妊について啓蒙したりすることではない。 「世の中の大多数は、中絶せざるを得ない状況になった人について、愚かなセックスをした愚かな人っていう判断をするんです。そういう、ある種の偏見をどのくらい取っ払えるか。私はそれをやりたいんだと思います。 男の人に毎回必ず100%コンドームをつけてもらうことを、できている人もいるんでしょうけど、できない人もいるやろとか。空気に流されてつけずにしたとか。愚かなことやと思うけど、そういうことってしてしまうんですよ。ある種の人からは、『自分というものが全然ないやん』と思われるやろなと思うけど、好きな人を喜ばせようと思ったら自分なんてすぐなくなるし、機嫌が悪そうだったら言いたいことものみ込むんです。私がそうだった。私だけかもしれないけど、だったら私の話を描けばいい」 これまでも「私」を全部出して漫画にしてきた。そのときそのときに本気で考えたことが作品に刻まれている。右往左往している当時の自分は滑稽でもあるが、そういう自分を描いたことに後悔はない。 「人は絶対ミスるんですね。で、ミスっても人生は続くんですよ。こういうふうにミスりましたというのを表に出すと、黒歴史とかって言われるんだけど、私はミスを恥ずかしいとはあんまり思ってない。中絶とか犯罪被害に遭うとかは、ミスというか、“成功じゃない”出来事だけど、そういうときでも、人は絶対にベストを尽くしているんです。だから、どんなに悲しんでいても、また笑うこともできるようになる。それが生きていることの醍醐味だと思ってて。漫画でもずっとそういうことをやっていきたいし、ちょっとでも何か、人に手渡すことができたらいいなと思っています」
被害者はずっと被害者でいなきゃいけないわけじゃないし、失敗にいつまでも落ち込んでいる必要はない。鳥飼作品が「えぐる」と言われながらもどこか希望を持ったラストになるのは、人間の多面性を信じているからだ。 人間の性に真正面から向き合ってきた鳥飼だが、年を重ねるにつれて心境に変化も生じている。 「私たちは、日々膨大な量の映像を目にするなかで、男性が見るという前提でつくられたものを消費してきているんです。例えば、性被害を訴える作品であっても、被害を受けている場面の描写は男性を喜ばせてしまうし、私たちもその景色を受け取ってしまう。男の目線で女性を消費してしまっている。そういう考えがあることを最近知って、反省したんです。考えてもみなかったと思って。 私がこれまで性欲とみなしてきたものも、頭のなかが男になっていて、男として女の人の裸に欲情するような、ねじれた自意識があったと思う。これからは、自分が描いた作品のなかに性描写があることについて、前よりも責任感を持たないといけないと思うし、単純に性描写自体、ちょっと描きづらくなりました。時代的にあんまり求められていない感じもあります」 鳥飼の漫画は、登場人物が多い。その一人ひとりに人生があって、性についても命についても、バラバラの価値観を持っている。社会は多様だ。 「今描いている作品でも、ちょっとでもいろんな人に触れるようにしたいですね。『私のことを言っているのかな』と思ってもらえるような仕掛けをどんどんつくりたい。歌舞伎町にいる10代女性のリアルを見聞きして、どうしてこの子たちはこういう行動に出ちゃうのか、そうせざるを得ない理由があるはずだから、そのことをとにかくいつも考えてる。自分が納得したら、たぶん描けるから。それに、女の子たちがどんどん生きやすくなるようになってほしいとずっと思っているんですけど、そのためにも、男の子たちにもがんばってほしい、変わっていこうよって思っていますね」