「悔しくて、悲しくて、寂しくて」上島竜兵さん、師匠・志村けんさんとの絆を物語る“入浴写真”
志村けんの死について「悔しくて、悲しくて、寂しくて」
5月11日に急逝したダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(享年61)。先輩からも後輩からも愛された上島さん。ビートたけし、出川哲朗、有吉弘行、劇団ひとり等々、縁が深かった芸人の名前を上げればキリがない。 【写真】師匠・志村けんさんと温泉に浸かる「上島竜兵」さん…番組収録中以外も寄り添うようにして離れなかった(2000年) なかでも特別に目をかけていたのが、20年3月に新型コロナウイルスで亡くなった志村けんさんだった。そんな二人の仲睦まじい様子が垣間見えるのが冒頭の写真だ。 ***
〈悔しくて、悲しくて、寂しくて、今でも信じられない〉――。これは2020年3月にコロナで亡くなった志村けんさんについて、上島竜兵さんが当時つづったコラムの一節である。 日頃、お茶の間に届けてくれた笑いとはかけ離れた最期に、ダチョウ倶楽部のリーダー肥後克広さん(59)は〈誰も1ミリも笑えない、しくじりをしました。でも、それが上島の芸風です。皆で突っ込んで下さい〉とコメント。悔しさに、少しだけ笑いの要素をまぶして、仲間の死を悼んだ。
「畏れ多くて…」
先輩、後輩を問わず、数えきれない芸人たちから慕われた“愛されキャラ”。なかでも彼に特別に目をかけていたのは、“バカ殿”をはじめ数々の番組で共演した志村さんだろう。 二人が出会うきっかけになったのは、元プロレスラーでタレントの川田利明さんだった。川田氏は当時をこう振り返る。 「麻布十番の焼き肉屋で深夜、志村さんと食事をしていたら、志村さんが“上島と知り合いなら呼んでくれ”と言うのです。言われるがまま、竜ちゃんに電話すると、“芸能界の大先輩だから畏れ多くて……会うのも嫌だ”と躊躇っていました。そこで志村さんが私の電話を取り、“いいから、四の五の言わずに来い”と。それが二人の初対面でした」
“師弟”にして“親友”
これ以降公私ともに親交を深め、上島さんは志村さんを師と仰ぐようになった。冒頭の写真は2000年、旅番組の撮影で山形県を訪れたときのもの。本番中に仲良く絡むのはもちろん、本番以外でも二人は寄り添うようにして離れず、歓談していた。“師弟”にして“親友”そのものの姿がそこにあった。 上島さんとの思い出を語る人は絶えない。披露されるエピソードには、どこかユーモアがあったり、オチがあったりするものが多い。 「皆様の中に思い出がありましたら、どうぞたくさん笑って たくさん思い出話をしてほしいです」という妻・広川ひかるさんのコメントの通り、ともいえるだろう。 それでもなお、〈悔しくて、悲しくて、寂しくて、今でも信じられない〉という気持ちになる人は多いのではないか。 *** ■相談窓口 ・日本いのちの電話連盟 電話 0570-783-556(午前10時~午後10時) https://www.inochinodenwa.org/ ・よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター) 電話 0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226) https://www.since2011.net/yorisoi/ ・厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」やSNS相談 電話0570-064-556(対応時間は自治体により異なる) https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html ・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧) https://jssc.ncnp.go.jp/soudan.php 撮影・本田武士 「週刊新潮」2022年5月26日号 掲載
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