遠藤航、独で相次ぐ絶賛の理由。知られざる恩師チョウキジェ“7年前の決断”の真意
ドイツメディアから遠藤航への絶賛が止まらない。6節を終えた時点でブンデスリーガ1部のデュエル勝利数トップに立ち、キッカー誌からはMF最高の平均評価点を得ている。欧州主要リーグに初めて挑むとは思えないその堂々たるたたずまいからは風格すら感じさせる。ほんの2年前には“本当に日本代表に必要なのか”と懐疑的な目線すら向けられていた男は、なぜ屈強な体躯(たいく)を誇る戦士たちがしのぎを削るドイツで評価を高めることができたのか。その礎を築いたのは、湘南ベルマーレ時代の恩師だった――。 (文=藤江直人)
5年前、22歳の遠藤航が思い描いた未来予想図を振り返ると……
湘南ベルマーレの主軸の一人として、3度目のJ1挑戦を目前に控えた2015シーズンの開幕直前。22歳になったばかりの遠藤航は、これから歩んでいくサッカー人生を明確に思い描いていた。 「(リオデジャネイロ)オリンピック本大会の前に、フル代表に入っていたい。今シーズンのJ1で活躍すればそういうチャンスも出てくるはずだし、サッカー選手である以上は、フル代表は目指すべき場所だと思っている。フル代表へのこだわりを強く持ってプレーすることを、個人的なモチベーションにしています」 U-23日本代表のキャプテンとしてAFC U-23アジア選手権を制し、リオ五輪の出場権を獲得したのは翌年1月。この時点で遠藤は、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督に率いられたフル代表で、2018FIFAワールドカップ・アジア2次予選を含め5試合に出場していた。まさに有言実行となる目標設定の真意を、遠藤はこう語っていた。 「J1で対戦した選手がフル代表でプレーし、ブラジルワールドカップのメンバーに入ったのを見ていると、フル代表という存在に対して親近感が湧いてきたというか。さらに努力を積み重ねれば手の届くところにあるんじゃないか、と自分のなかで思えるようになってきたので」
サッカー人生の転機となった湘南時代のコンバート
最初にJ1でプレーしたのは、ベルマーレU-18(ユース)に所属しながら2種登録された2010シーズン。反町康治監督(現日本サッカー協会技術委員長)のもと、最下位にあえぎ続けた苦しいシーズンの終盤戦になってセンターバックとして抜てきされ、6試合に出場して1ゴールをマークした。 次は2013シーズン。チョウキジェ前監督のもと、最終節で劇的なJ1昇格を決めた前年に続いて、3バックで形成された最終ラインの真ん中を担った。しかし、夏場の8月になって3バックの右ストッパーへコンバートされている。 「相手との1対1に勝って、攻撃面でもっと、もっと前へ出ていってみろ」 シーズン途中でコンバートさせた理由を、チョウ監督はこんな指示を介して遠藤に告げている。アカデミー時代から遠藤を指導してきたチョウ監督は、コンバートに託した真意をこう語ってくれた。 「これから先、世界の舞台に出ていくことになるかもしれない20歳の選手に、最終ラインをコントロールする、味方が競ったこぼれ球を拾うことを含めたカバーリングを求める、あるいはパスを配給させるだけではかわいそうというか。いくらチーム事情があるとはいえ、ちょっと違うんじゃないか、と」 危機察知能力とカバーリング能力に長けた遠藤を真ん中に配置すれば、指揮官としてはある意味で安心できる。しかし、遠藤の身体に宿る潜在能力と照らし合わせたときに、日本サッカー界に携わる指導者の一人として、それでいいのかという疑問が頭をもたげてきた。 そして、遠藤自身も突然のコンバートをポジティブに受け止め、ごく近い未来から逆算したときに、自身のサッカー人生におけるターニングポイントになると確信していた。 「チョウさんのなかでは、おそらく『3バックの真ん中はいつでもできる』という考えもあったと思っています。その上で自分のプレーの幅をもっと広げて、さらに成長していくためにも、チョウさんは『球際の激しさを求められるポジションでプレーした方がいい』と言ってくれたので」