9年間不登校ののち、東京藝術大学へ。27歳の作曲家・ 内田拓海さん「小・中学校に1日も登校しなかった私は、音楽に居場所を見つけた」
家族の中で居場所を探し続けた
■親とは仲良し。でも何かが嚙み合っていない ――ご両親との関係はいかがでしたか。 内田さん:父と母がやりたいことを好きなようにやらせてくれたのが、今の私に繋がっていることは間違いありません。 その一方で、家庭内の衝突、思春期ならではの問題もありました。私は一番最初の子どもなので、両親も子育てが分からないところからスタートしたのもあるのでしょう。私の性格もあり、どう対応していいか分からなかったのだと思います。分かってくれないから私は感情が爆発してしまう。向こうも受け止める術がなくて、「なんでそんな風になるんだ」と。 ――思春期でもあり、難しい時期ですよね。 内田さん:母が分かってくれていなかったわけではないと思うんです。私の9年間はかなりのレアケース。周りの目もある中で、よく見守ってくれたと思います。 でも、親子とはいえ、心の中は見えないので、相手を理解するのはやはり難しい。私の場合は、不登校や受験というよりも、根本的な自分の性質と両親のコミュニケーションの方法が全然違った気がします。一緒にいて、話はするんですけど、なんか噛み合ってない。親との間に、どこか埋まってない溝があるとずっと感じていました。 夜勤があった父は、自分が休息している日中に、私がいるのが気に障ったのでしょう。「うるさいよ!」と声を荒げられるのが本当に苦しかった。逃げるようにフリースペースに行ったこともあります。高校からは外の世界に出たいと思ったのも、家の中にあまり居場所がなかったからかも知れません。 ■よき理解者だった妹たち ――妹さんもいらっしゃるのですよね。 内田さん:5歳下と7下の妹が2人います。妹たちも小学生の頃は、当時流行していた女の子向けのゲームを楽しんでいて、私もゲームが大好きだったので感覚のギャップはあまりなく、お互い気軽に楽しんでいたように思います。きょうだいの距離感も自然で、特に嫌がられたり距離を置かれたりすることもなかったですね。 兄は家にいるものと思っていたようですが(笑)、「お兄ちゃん、この先どうするんだろう」と心配することもあったそうです。親とのコミュニケーションがあまりうまくいかなかった分、きょうだいで連携して支え合うようなところもありました。今でもご飯を食べに行く仲です。 ■騒音、人混みが苦手 ――内田さんはいろいろなことを深く考えてこられたのですね。 内田さん:オールマイティに思考力があるわけではないんです。静かな環境で、1対1でお話できれば集中力が発揮できるのですが、場面が変わると全然うまくいかないこともある。 実は、小さい頃から、少しADHDの傾向があるとも診断されています。人混みや雑音が多い場所で話をされるのも苦手。電話中は特に“うーん、抜けちゃった、何の話だろう?”と相手が何を言っているのか聞き取れないことも。適材適所で、環境が整うと、自分の能力が発揮できるのかなと思っています。