9年間不登校ののち、東京藝術大学へ。27歳の作曲家・ 内田拓海さん「小・中学校に1日も登校しなかった私は、音楽に居場所を見つけた」
直感で「学校に行かない」。9年間出席日数はゼロ
東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻に在籍し、作曲家・アーティストとして幅広い活動を続ける内田拓海さんは、6歳で「学校には行かない」と宣言し、小・中学校の9年間をホームスクーラーとして過ごしました。 【画像6枚】内田拓海さんのインタビューの様子はこちら ――小・中学校に1日も通わなかったのはなぜですか? 内田さん:直感、でしょうか。幼い頃から自分の考えていることを信頼していました。保育園で先生に理不尽な対応をされたことは今でも覚えていますが、それが原因で集団生活がトラウマになったわけではありません。習い事やキャンプは楽しく行っていました。 学校が嫌、というよりも、ホームスクーリングをしていた外国籍の友人のように、自由な生き方をしたいと思ったんです。 ――ご両親は最初、どんな反応をされたのでしょうか。 内田さん:小学校の入学手続きが届いた時に「学校には行かない」と母に伝えました。母はそれをどこかで予感していたそうです。父と相談して、私の「選択的不登校」を尊重してくれました。 ――その時「行きなさい」と言われていたら? 内田さん:もともと、大人に理解してもらえないもどかしさをずっと抱えていた。学校には行ったかもしれませんが、行かされた不満が膨らんでいったでしょうね。
坂本龍一さんの音楽が孤独を溶かしてくれた。「これだ」
――音楽との出合いを教えてください。 内田さん:1つはゲーム音楽です。私は子どもの頃からゲームが大好き。NINTENDO 64の3Dスティックが壊れるほど夢中でプレイする中で、植松伸夫さんの作品や、光田康典さんが作曲した『クロノ・トリガー』をはじめとする数々のゲーム音楽に魅了されていきました。本の表紙にもゲームのキャラクターに扮した私が登場しています。 もう1つは、15歳で出合った坂本龍一さんの『Merry Christmas Mr. Lawrence』です。この曲を聴いた瞬間、すごく救われたような気持ちになったんです。家の中に居場所がない、誰にも受け止めてもらえない孤独感が、ゆっくりと溶けていく感覚でしょうか。ここに自分の居場所がある。本当に音楽が好きだと気づいたきっかけでもあります。 ――そのときの思いが今の内田さんにつながっているのですね。 内田さん:この体験は私の根っこにあり、たびたび私を支えてくれています。藝大での作曲の勉強や、音楽の世界で自分を確立していこうとする過程でうまくいかないとき、大学卒業後にうつを経験し、アルバイトをしていたとき、自分はなぜ音楽をやっているのかと、あらためて問いかける瞬間……。そのたびに人生を立て直そうと思えたのは、この時の音楽で救われた体験が強烈に心に残っているからです。 音楽が私にとっての居場所となってくれたように、誰かに届いた私の作品が、一瞬でもその方の居場所になれたのなら、意味のあることができたのかなと思っています。