写真◎Getty Images カテナチオとファンタジアの両立。王様が降臨したユベントス◎サッカー世界遺産第27回
現る、救世主
プラティニは実質、半年足らずでユベントスの新しい「ロワ」となっていた。 しかも、1年目から3シーズン連続でセリエAの得点王を獲得。世界で最も点の取りにくいリーグで、司令塔がトップスコアラーになったわけだ。いかに異例の存在だったかが分かる。 2年目のシーズンを終えた直後の1984年夏には、祖国で開催されたEURO(ヨーロッパ選手権)で躍動。自らゴールラッシュを演じ、初優勝へ導いた。 計5試合で実に9ゴール。そこには二度のハットトリックが含まれていた。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの「巨人」だった。そして、加入3年目のシーズンに悲願のタイトルをクラブにもたらすことになる。チャンピオンズカップ制覇だ。 実は1年目のシーズンにも決勝に駒を進めたが、西ドイツ王者のハンブルクに敗れている。プラティニとその仲間たちにとっては、二度目のチャレンジだった。決勝の舞台はベルギーの首都ブリュッセルのヘイゼル・スタジアム。相手は連覇を狙うイングランドの名門リバプールだった。 百戦錬磨のつわものをそろえた難敵である。それでも、ユベントスの面々は粘り強く戦い、1-0で栄冠をたぐり寄せた。虎の子の1点は、あの黄金ペアから生まれたものだ。プラティニが唐突に繰り出したロングパスからボニエクが独走。たまらず相手DFが後方から倒してPKが与えられ、これをプラティニがクールに決めてみせた。 あとはリベロのシレアを中心にがっちり守りを固め、時計の針を進めていく。スコアといい、試合運びといい、いかにもイタリア風の勝ち方だった。 いや、何よりも、たった一度の魔法で試合を決める伝説のファンタジスタがいた。人々がカルチョの流儀にアンビバレントな感情を抱くのも、どこかで「救世主」が現れるからかもしれない。 そして、ヨーロッパの覇権を夢見ていたユベントスにも、ついに「彼」が現れた。プラティニという名の救世主が。 しかし、プラティニ自身は、いまも歓喜の夜に複雑な思いを抱いている。それは「血塗られた夜」でもあったからだ。 キックオフの約1時間前、スタンドで大惨事が起きていた。両軍のファン・サポーターが衝突し、やがて隅に追いやられた人々が、群集に押しつぶされていく。 死者38人、負傷者も300人を数える悪夢。いわゆる『ヘイゼルの悲劇』だ。これほどの大事件が起きてもなお、試合が開催されたのである。 人々の夢が一部の野蛮な人間たちに砕かれた――。後年、プラティニは悲痛な面持ちで語ったという。その意味では王者ユベントスも「犠牲者」だった。