【冬休みに読みたい本】生きづらさを感じる「自分」の心と身体の傷口に向き合う話題作
歌集『世界を信じる』
『世界を信じる』は、齋藤さんの初めての歌集。中学時代に作った一首と、2007年から2024年までの作品を収めている。 1ページ目に〈「社長さん」呼ばれて会釈を三度する輪郭うすきわたしの影が〉という歌があって驚く。齋藤さんが夫と一緒にやっていた仕事を辞めたことは『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』に書かれているが、まさか社長だったとは。生きることにあれほどの困難を抱えている人と、会社経営が結びつかなかった。自分のなかにある偏見を思い知らされた。 「あとがき」によれば、齋藤さんは30歳のときに「抱っこ紐の会社」を起業したらしい。商品の検品や問い合わせ、従業員の欠勤、経理にまつわる短歌もあって、〈社長さん〉の担う業務の幅広さが垣間見える。働きながら家事や子育てに追われる日々の悲しみも喜びも浮かび上がる。 〈なかぞらに舞うレジ袋 ふくらんだしろいおなかにわたしを容れて〉〈わたくしは夜であるかな内側をゆつくりとほる水がつめたい〉〈われがまだ産むなら楽器、明け方の空の遠までカノンひびかせ〉など、自分を静かに見つめる歌が印象深い。 『世界を信じる』 斎藤美衣 著、花山周子 装幀 ¥2,970/典々堂
柴崎友香 『あらゆることは今起こる』
『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』は、医学書院の「ケアをひらく」というシリーズの1冊だ。2000年に創刊され、2024年12月現在で49冊が発行されていているのだが、今年刊行されたこのシリーズで、ぜひ手にとってほしいのが柴崎友香の『あらゆることは今起こる』。 齋藤さんと柴崎さんには、子どもの頃からずっと困っていることがあって、大人になって発達障害と診断されたという共通点がある。2冊あわせて読むと、人によって症状も、感じ方も異なるということがよくわかる。齋藤さんは言葉を羅針盤にして自分の体験世界を旅するが、柴崎さんは言葉で自分の体験世界を測量して「地図」を作っていく感じだ。 柴崎さんはさまざまな資料を読み、他人の話を聴き、自分の置かれている現状を観察して、「どの部分が」「なぜ」難しいのかを考える。「地味に困っていること」「ワーキングメモリ、箱またはかばん」「『迷子』ってどういう状況?」といった項目について考察したあとに、いくつもの「余談」をくっつける書き方がユニークだ。柴崎さんの忙しい頭のなか、マトリョーシカのように次々と出てくる面白いエピソードに魅了されてしまう。体内に複数の時間が流れている感覚をガルシア=マルケスの小説を例に挙げて語っているくだりも目を瞠った。 困りごとの解像度を上げていっても、必ずしも対処方法が見つかるとはかぎらない。かえってつらくなることもある。ただ、柴崎さんの歩いた道のりを一緒に歩くことで、世界の見え方は少し変わる。「おわりに」にある、この言葉をおぼえておきたい。 〈こないだはこうしてみたけど、次はこうしてみよか、ぐらいの感じで日々生きていけたらなあ、と思う。私も、私じゃない人も〉。 『あらゆることは今起こる』 柴崎友香 著、原美樹子 カバー写真、松田行正+倉橋弘 装幀 ¥2,200/医学書院 石井千湖 近著「『積ん読』の本」(主婦の友社)が多くの書店のベストセラーリスト入り。“読書を愛する人”を増やし続ける書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経て、書評家、インタビュアーとして活躍中。新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿をはじめ、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。ほか著作に『文豪たちの友情』(新潮文庫)、週刊誌の連載をまとめた『名著のツボ 賢人たちが推す! 最強ブックガイド』(文藝春秋)がある。