【袴田事件】死刑判決後、34年も極限状態に留め置かれて…そして袴田巌さんは「神になった」
ハンドサインの「特別な意味」
死刑判決が確定(1980年)してから、釈放(2014年)されるまで、34年。 この間、明日にも、死刑が執行されるかもしれないという極限状態に留め置かれ続けた彼は、自分を決して「殺されることのない」、「死ぬことのない」存在、つまりは「神」とすることで、自らの命を護ってきたのだろう。 10年前、袴田さんが釈放された際、テレビに映った彼の姿をよく覚えている。 あの時、袴田さんは支援者や報道陣の前で、両手にVサインを掲げていた。だが、あの「Vサイン」は、単に、国家権力との無実の戦いでの勝利を示していただけでなく、もはや「神」となった彼のなかでは、「特別な意味」を持つハンドサインだったのだ。 映画では、そのサインが持つ意味も、笠井監督と袴田さんとの対話の中で、明らかになるのだが、笠井監督は対話を重ねることによって、彼の精神世界の奥深くまでわけ入っていく。 一方、その袴田さんを半世紀にわたって支えて続けてきた存在が、姉の秀子さんと、ボクサーとしてリングに上がり、拳ひとつで闘ってきた記憶だった。映画の中でも、話がボクシングに及ぶと、彼の目に光が宿るのだ。 袴田さんは中学卒業後、工場で働きながら、ボクシングジムに通い始めたという。1957年の静岡国体には、ボクシング代表選手の一人として出場した。その後、上京し、神奈川県川崎市のジムに入門。23歳でプロボクサーとなり、日本フェザー級6位にランキングされた。 しかし61年、体を壊してボクシングを休業。その後、静岡県清水市に移住し、前述の味噌製造会社の工員として、住み込みで働くようになった。専務一家殺害事件で逮捕されるのは、休業から5年後、袴田さんが30歳の時だった。以降、半世紀近くにわたって獄中生活を余儀なくされたことは前述の通りだ。
袴田さんの「聖地」
映画の中では、釈放後の袴田さんのルーティンとなった「散歩」―もっとも、彼の心の中では、日々欠かすことのできない「お勤め」なのだが―の中で、必ず立ち寄る、廃墟となった建物が出てくる。 後に、笠井監督のインタビューで、秀子さんの口から明かされるのだが、そこにはかつて、袴田さんが初めて通ったボクシングジムがあった。つまりは、袴田さんにとっての「聖地」だったのだ。 だからこそ「拳」を恃みに獄中生活を生き抜いてきた彼は今も、そのジムの跡地に「祈り」を捧げ続けるのである。 無実を訴え続けていたにもかかわらず半世紀近く、しかも、いつ国家によって殺されるか分からないという極限状態での拘留が、いかに人ひとりの人格を「破壊」するものなのか-国家権力の残虐さと、冤罪事件の罪深さをこれほど観る者に、静かに、しかしながら、強烈に訴えかけてくる作品もない。 だが、その一方で、笠井監督は本作のDIRECTOR'S STATEMENTにこう綴っている。 〈どんなに非道で残虐な仕打ちを受けたとしても、人間の心は縛れない。そして権力がどんな手を使って、個人を社会的に抹殺しようと企てたとしても、人間は決して屈しないし、自分の精神世界でなら全てに打ち勝つことができる。それが22年追い続けた袴田さんが、私に教えてくれたことです〉 『拳と祈り -袴田巖の生涯-』は、10月19日から東京「ユーロスペース」、静岡「MOVIX清水」など全国で順次公開。詳細は公式サイトhttps://hakamada-film.com/
西岡 研介(ノンフィクションライター)